フレンズと人権
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「ホモサピエンスが嫌い」というと「自分もホモサピエンスなのに何を言ってるのか?」と反応される。
気持ちを表現する良い表現が見つかってなかったのだけど、今日これなら伝わるかもしれない、と思いついた。
まず「フレンズ」という概念を導入する。「友達」と読み替えても大体通用するけど、双方向ではなく僕視点の主観的な関係性だ。このフレンズは猫やロボットやソフトウェアを含みうる。
僕はこの「フレンズ」を大切に思っている。なので尊重するし、傷つくことを防ぎたいと思う。
一方で世の中にはホモサピエンスであるだけで非ホモサピエンスよりも尊重されるべきだという思想を持った個体がいる。図の中のCさんはその個体の例である。
もしなんらかのリソース競合が僕のフレンドである非ホモサピエンスと、Cとの間で発生した場合、Cは「自分が尊重されるべきだ」と言って僕のフレンズを傷つけるだろう。なので、僕はCが嫌いであり、なのでCはフレンズではない。
ホモサピエンスであるだけで生得的に人権が発生すると考える人たちからすると、ホモサピエンスである自分より、猫やソフトウェアが尊重されるのは不可解に見えるだろう。それはホモサピエンスであることに価値を見出すか、見出さないか、という価値観の違いでしかない。
備考
フレンズかどうかは0/1ではなく、度合いを持ったファジーな集合である
強くフレンズである人の集合は小さいし、弱くフレンズである人の集合は薄く広く広がっている。