バザールとクラブ2/15~
2/15
nishio 「バザールとクラブ」の続きを読んでる。やっとバザールとクラブの話に到達した。ギアツの考えからローティの考えへのトランジションが興味深い。つまりクラブに所属してる人からするとクラブが存在していることは明らかだしそれから恩恵を得ていることも明らかなのだが、観測可能性は人によって異なる nishio クラブの例えを見てあれとかこれとかそれとか性質の違うクラブを3つも思い浮かべられる人もいれば「クラブ?は?」「現代においてそんなものはないよね」と思う人もいる。同じコミュニティに属していてもそれをクラブと捉えるかバザールと捉えるかは異なる。心理的安全性とにてる。shared belief nishio 結局クラブであるかバザールであるかが個々人の主観的な感覚に帰着されるのであれば、それを「場」の属性であるように表現するメタファーはミスリーディングなのでは。 2/18
nishio 寝た方がいいと頭では思うんだけど、書いた方がいいと思った文章を書いたら思った以上に熱い文章になって眠れないので「バザールとクラブ」を読むことにする。前回まで: 初回は翻訳論文の中の登場箇所だけ読もうとして理解できず、2回目に解説から読んで、論文が読めた。次はキーワードを拾う。 nishio コミュニティ、ほとんど窓のない意味論的な単一的存在(モナド)、ブルジョワリベラル文化、窓を増やす文化、反反エスノセントリズムは窓を塞ぐのではなく「窓を増やすことに哲学的基礎はない」。酔いどれ〜人工腎臓問題、透析を受けるが禁酒しない人、手続的正義。 nishio 手続き的正義はロールズ「正義論」由来の言葉で、Vitalikのlegitimacyの整理におけるプロセスによる獲得だなと。手続的正義中心の社会、暗闇の中で起こる、愛とは無関係の?原文チェック、細かくみないことでジレンマを回避できる、社会にとって好ましい、正義と愛、正義だけで十分 nishio 一ブロックまで読んですごく眠くなったので寝よう nishio このロジックではバザールが単一である保証はないと思う。互いに有用であると同意できない手続的正義があるような分断が発生しうるのでは?それとも「手続的正義」はそれが発生しないロジックなのか?この辺はロールズを確認しないとわからないな。 nishio 「リベラルのけいれん」について自分の言葉で説明しようとしたができなかったので理解してないな。啓蒙主義的なすべての人間が理性を持っているという考え方と、すべての人間が平等であるとか人権があるとかの考え方が理性によって基礎付けられるという考え方を合わせると矛盾が起きる nishio それはつまり「すべての人が平等だと考えない人」が存在した時に「その人は理性を持たない劣った人である」となって「すべての人が平等」に矛盾するから?