ドッペルゲンガーの世界
「自分のドッペルゲンガーのような人だけで構成された社会になったら幸せかどうか」という問いが面白かった。
その場合僕は音声コミュニケーションを廃止して、全員の脳に電子的コミュニケーションのチップを埋め込んで、「言ってることと思ってることが違う」とか「伝えたいことが上手く言葉にできないので伝えられない」などが起こらない世界を作ってとても幸せになると思う。
反論1: 揺らぎがあった方が面白いのでは
揺らぎのないシステムがあれば、そこに気が向いたときに揺らぎを足すことは容易。揺らぎがあるシステムで揺らぎをなくすのは困難。
例えば「ランダムにいくつかの単語を使用禁止にする」や「通信路でランダムに単語が置換される」などの仕組みを作って対話して見るのは容易だし、僕はもう一人の僕がそれを使って対話しようと言ってきたら面白がって乗っかる。
反論2: 自分は同じことを結構なんども話すが、そのそれぞれで状況が異なっているので同じことを話すことにもメリットがあると思う。
同じことを話すことを否定してはいない。
異なる状況で「同じこと」を話したと主観的には認識しているが、実際には状況が異なっているのでその時々によって少しずつ異なったことを考えている。「同じこと」と思っているが、実際には「似たこと」だ。
思考が記録されないため、後から比較することができず、漠然と「同じこと」だと認識している状態。
もし記録していたならば状況に応じて少しずつ異なる思考の過程を比較することで一段の抽象化ができるはずだ。