テクノロジーは民主主義の曖昧さを可視化させる
hazuma ところで先日の安野さん桂さんとの7時間半イベントについて少し追記すると(といっても何が議論になったのかすでに曖昧ですが)、ぼくの考えでは、そもそも民主主義とか熟議とかいう概念は定義が曖昧なので、技術的実装に必要な目標設定ができないのではないかという疑念があります。 hazuma そしてここが大事なのですが、この「曖昧さ」というのは学問的な研究や技術が進んでないから生じているものではなく、そもそも根本的に民主主義や熟議の概念の根幹に関わるもので、決して取り除くことができない。つまり民主主義や熟議は<原理的に>テクノロジーによって改善できない。 hazuma ではテクノロジーによってなにができるかというと、それはむしろ、情報や判断の自由度を増すことで民主主義や熟議の「曖昧さ」を可視化させるということで、実際にそれがいま起きていることだと思うんですよね。いま思えば、それが「訂正可能性の哲学」で言いたかったことです。 hazuma つまり、民主主義とテクノロジーとは確かに深い関係にある。けれどもそれはテクノロジーが民主主義を改善するという関係ではない。むしろテクノロジーが発達すればするほど民主主義の「曖昧さ」が明らかになるし、むしろそれでいい、というのが僕の暫定的な結論になるでしょうか。ご参考になれば。