コミュニケーションの立川モデル
2018-11-07に東京工業大学の田町キャンパスで立川智也氏による講演「起業と全方位コミュニケーション」が行われた。その講演で紹介されたコミュニケーションのメンタルモデルが面白かったのでメモ。 立川氏のよすが株式会社は結婚相談所を営んでいる。僕は結婚相談所を使ったことがないのでイメージできていなかったが、コーディネータという役割の人が顧客とコミュニケーションをしながら物事が良い方向に進むように支援するようだ。立川氏は自分自身もコーディネータをする社長として、コミュニケーションをうまく進める方法について言語化し他の社員に教える業務上の必要性がある。
立川さんは「コミュニケーション」をあいまいなひとかたまりのものとして捉えるのではなく、もっと分解すると良いと語り、事象・表現、言語化・解釈、という図を描いた。このモデルは一見、西尾が元から持っていた「事実と解釈を区別すべき」というモデルと同じであるように見えたが、よく話を聞いてると大きな差があった。 https://gyazo.com/d5300ee090d98d1a49fab193a4a28330
立川さんのモデルでは、相手の心の中に事象があり、その事象が言語化されて表現となり、その表現を自分が解釈する、という流れになる。一方、僕の「事実と解釈の区別」では相手の言語化した表現が事実であって、それを自分が解釈する。相手の内面は観測不可能なものなので無視する。 例えば、ある人が「何か会話のとっかかりが欲しい」と思って「メガネ変えた?」と話すことがある。これに対して僕は「前に会ったのはいつでしたっけ?」と返した(実話) 「メガネ変えた?」を文字通り「前に会った時から今までの間にメガネを変えたか?」という質問だと捉え、前に会った時がいつか忘れていたのでそれを特定しないことにはYesともNoとも答えられないからだ。「メガネ変えた?」という表現の裏に、その表現と異なった意図があるとは思わない。
つまり「事象と表現を区別する」の区別ポイントは2箇所あって、僕は後半の区別ポイントは区別していた。それを「事実と解釈の区別」と呼んでいた。一方、前半の区別ポイントはまったく区別していなかった。これが僕の苦手の原因かもしれない。
https://gyazo.com/34621cf1a25dbac1b12606f2551d37fc
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このページを見て立川さん曰く
この例として出てるメガネの話、コミュニケーションとしては普通に問題ないというか、結果的に相手の意図を汲んでますよね笑
「はい、メガネ変えたんです」で会話をぶつ切りにする方が相手の意図に応えてない気がします
というわけで実際の発言を発掘した
実際には「メガネ変えた?」に「わからない」と答え、帰ってから調べて「昨年の3月2日に変わった」と報告していた
www 「わからない」と答えるのは相手にとってはかなりハードですねw