カール・シュミットの「議会批判」と「独裁」論
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1. 議会制はなぜ「民主主義と両立しない」とされたか
シュミットは『現代議会主義の精神史的状況』(1923)で、議会を正当化してきた二つの前提――
1: 公開討議(議員どうしが理性的に説得し合う)
2: 可変的意思(討議で各議員の立場が変わり得る)
が瓦解したと指摘した。現実の議会は政党間取引の場と化し、討議は形式だけ残った「空洞化した装置」だ、というのが彼の主張である。
そこで彼は「多数決で作られる妥協は、国民の同一意思を表せない。同質的な人民の自己同一的意思こそ民主主義の本質だ」とし、議会主義と民主主義を分離した。
2. 『独裁』(1921)――非常時の権力形態を類型化 一時的に法を停止するが、憲法は前提として残す
目的: 憲法秩序の回復
例: ローマ共和政の非常時独裁官
旧憲法を停止し、根本規範を決定
目的: 新しい憲法秩序の創設
例:フランス革命期のジャコバンなど
この区別により、独裁は単なる恣意的支配ではなく「例外状態を処理するための法制度」と位置づけられる。
3. 人民投票的独裁(plebiscitary dictatorship)
後期シュミットは『憲法論』(1928)などで人民投票的独裁を擁護した。
指導者は議会を介さず国民投票(プレブィシット)や喝采(Akklamation)によって直接承認を得る。
ここでは「指導者の決断 = 人民の意思」が成り立つとされ、議会よりも決断の即時性と同一性が重視される。
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