オジサン観察日記
自分と利害関係のないおじさんの揉め事を観察するのは有益なのではないか、という仮説
オジサンには限らないのだが
経緯
身近な人間関係のトラブルは、多分観測情報が歪むし、自分自身にも利害関係があったりしてフラットに観察できないと思う。一方でネット上で自分にとってどうでもいいおじさんAとおじさんBが喧嘩してる場合、正直どうでもいいのでフラットに観察できて面白い。僕以下の世代はこういう事例の観測機会に恵まれた状況で育つので、コミュニケーションの形に変化が起きるかもしれない。 要するにおじさんAが不用意な一言を言ったことでおじさんBのプライドが傷つけられた(とBだけが思ってる)状態で、Bが「悪であるA」をとっちめるために行動してるのだけど、Aのことを悪だと思ってるのはBだけ。
A視点では自分が不用意なことを言ってBのプライドを傷つけたとは認識できてないので「狂犬B」が噛み付いてきた、と認識している
どちらにも肩入れしてない立場からは、どっちもどっちに見える
Hirotaka Yoshioka 多くのトラブルはどうでもいいのだけど当事者はどうでも良くないのでどうにもならないのですね。自分が当事者になるとどうでも良くないということはよくあります。 n> 特にプライドの問題って、本人にはどうでも良くないのだけど、プライドにこだわっているところが他人から見るとダサくて逆効果だったりするので、若い人たちがこの構図をよく観察して体得すると世の中からプライドに基づく揉め事が減るんじゃないかなぁと思っています。