ひとはみな自分が信じることしか責任が取れない
hazuma 突然昔話を始めるのだが、ぼくもかつて、「自分のすぐれた提案がなぜ聞いてもらえないんだ、なぜほかのボンクラのほうが大事にされるんだ」と憤り、年上に噛みついていたことがあった。30代のころかな。そしていろいろ嫌われた。(→) hazuma 当時は自分が正しい、世界のほうが間違っていると疑っていなかったのだが、40代に会社を経営して見方が変わった。確かに当時の僕の提案は単独では正しかったかもしれない。でもそれを他人に実現させようとするのは間違っている。ひとはみな自分が信じることしか責任が取れない。(→) hazuma 他人には他人の人生があり蓄積がある。それは確かに最適解でないかもしれない。でもそれはそれで本人にとっては大事な経験なのであり、横から介入し変えろというのは暴力だ。その点で30代の僕は暴力的だった。だから嫌われた。いまはそれがわかるが、若い人にはなかなか伝わらないかもしれない。(→) hazuma いずれにせよ、このツイートの読者で昔の僕と同じような憤りを感じているひとがいるとしたら、きっとあなたも年齢を重ねたら僕と同じように感じるよとは伝えておきたい。自分の思う通りに仕事をしたいなら、一人になるしかない。というわけで僕はそうなったが、これはこれで孤独だし辛いもんだよ。 むかし、僕からはその責任者がうまくいってないように見えた。なのでその人に、僕もみんなもあなたのここがダメだと思っています。改善して欲しい。ということを伝えた。
そうしたら彼からは安達くん、人に変わって欲しい、変わったらうまく行くよ、っていうのはおこがましいよ、と言われ、僕は、逃げやがってと思いつつも、確かにその通りだな、と納得したのはおぼえてる。
そうなんだよね、だって僕は彼の抱えてることとか今までとか何も知らんしね。なんで、今の彼があるか知らんし。明日から変われ、なんてないよね。でも難しいのは企業の経営って、極論、自分の信じることをやってもらいたい、って話だし。どう折り合いつけるの?
だから、結局、経営って、組織を作るってことになるんだなぁ、組織って何ですか、どうすりゃいいんすか、ってところで、それは、愛するっていうことですよ、フロムを読むといいですよ、と言われて読み始めた。