あたりまえの技術
技術は、それを習得している人にとってはあたりまえに見えるのではないか
書いてから考える: 書かなきゃどんどん消えていくんだから当たり前
書いたものを一覧する: 一覧できるようにしないと再度見ることのコストが高くなっちゃうからあたりまえ
新しい構造を見出したい時にはデータを分類してはいけない:
分類しても「既存の枠組みに従ってデータを分類したもの」が手に入るだけだからあたりまえ 前回口頭で話した時にパッと思いついたのはこの3つだったが
「この授業ではスマホなどでインターネットを検索してもよいです」とアナウンスされてた
検索によって「想起できる知識」を増やすのは知的生産性向上の手段でも当たり前中の当たり前だろうと思ったら
> 文科省が2001年に出した、携帯電話について「小・中学校への原則持込禁止」「高等学校の校内での使用制限」という通達で学校は指導を行っていた。
ということでどうやら「授業中に携帯をいじってはいけない」という考え方の人も多いようだ
当たり前だと思っているものはわざわざ言葉にしない
なので一緒に作業をすることによって、非言語的に知識移転をする see SECIモデル 質問によって引き出す
「学生が全然質問しなくて困った」「そういう状況をどう乗り越えたんですか?」
正直、その発想はなかった。最初に聞いたとき、すぐに理解できなかった。