「生きがい」と川喜田二郎
私がはやらせたふたつの言葉がある。そのひとつは、「生きがい」という言葉である。 私は一九六四年に出した小著で、「やりがい」という言葉と共にそれを用いたのだが、そのうち「やりがい」 ははやらず、「生きがい」だけが急速に広がった。それがまず企業界にはやったが、間もなく企業界以外の社会層にも一般化したことは注目に値する。なぜなら、この時期を境とする管理社会化の一段の進展と、この「生きがい」をめぐる危機意識とは、密接な関係がありそうだからである。 「私が流行らせた」は少し過剰な言い方で、60年代に「生きがい」に関する言及が多数の著者によって行われて盛り上がったのだろう
続き
もうひとつはやらせた言葉というのは、「参画」である。私はそれを、一九六九年に書いたある論説で訴えたのである。これより以前から日本の知識人の間に次第に用いられ始めていた言葉に、「参加」というのがある。けれども私はそれを採用しなかった。