2017-09-17
責任感も感情なのに、なぜ責任感だけ「ついかっとなって」とか「金に目がくらんで」とかの感情よりも高尚なものだと捉えられているのか? / “無責任感 - 西尾泰和のScrapbox - Scrapbox” https://t.co/qSMdrkIzga T 責任感という感情がどこから生まれるのか考えている。他人が「あいつは責任感がない」と言う時、実際には明確な責任は存在しないのではないかと言う指摘。明確な責任があれば「契約を不履行」「約束を守らない」などの表現になるはずだ、とのこと。 T と言うわけで「あいつは責任感がない」と言う発言は「あいつには実際には明確な責任がないので契約に基づいてやれと言えないのだけど、俺のやって欲しいことを察して自発的にやって欲しい」という意味なのでは説 T というように僕は責任感という感情に注目して掘り下げようとしたのだけど、逃げて休むべきなのにメラを打ってる状況を説明したら「休まないのは、頑張ったのだから責めないで欲しい、という保身ではないか」という厳しい指摘もあった T @Downspade そういう質問をするということは「優しさやいたわりは高尚なものだ」と考えているのかと思いますが、それはなぜですか? T @kaityo256 元ツイートに最初に反応したときは、その前の「細かいタスクをやってしまう」には気づいてなかったのですけど、それを踏まえて考察すると何か面白いものが見つかりそうな気がしています。 T 「無責任」と「責任感がない」はイコールではないという指摘。無責任は本当に責任があるのにそれを果たしてない時に主に使うが、責任感がない、はそれを含んだより広い領域に使う。明確な責任がない時にも使う、とのこと。 T 「責任感がない」と「主体性がない」は似ている。残業しないでさっさと帰って仕事以外のことをしている人に対して「仕事に主体的でない」という批判をする人が居るが「やる義務がないことをこちらが命じなくても汲み取って自発的に実行して欲しい」といっているような状態。 T RPGを経験してる世代を中心に「MPが切れる」というメンタルモデルがあるが、これは正しいのだろうか? T @athlonz そういう解釈が一般的だとは思うのですけど「MPが切れた」人がTwitterしたりゲームしたりと「脳を休めることにはあんまり寄与してない行動」を取ってることが多いように思うのです。ならばそれを「脳のリソースがそれ以上払い出せない状態」とするのはおかしいのではないか…と。 T @athlonz その「MP」とは一体なんなのでしょう…? T RT @tasukuchan: 「感情によって合理的な行動が妨げられる」というより、「感情そのものの満足」というゴールを合理性の中に含めれば、「敵を倒すという目的より、倒すために頑張っているという姿勢を見せる」というのは十分合理的なんだと思ってるし、合理性なんてよくもわるくもそ… T RT @matsudotsuyoshi: 責任というのは、その選択に対して自分の行為と結果との因果関係を事前に認める行為であって、ポジティブというのは、結論がよい場合しか見ていないのでは。結論が悪い場合においてその失敗を受け容れ、改善するなり補償をするという両面を捉えないといけ… T RT @matsudotsuyoshi: 責任感が物事を悪くしてしまうというケースは、本来自分の持てる力以上の仕事を引き受けてしまう場合(これは自分の役割だからやらないといけない)とか、誰かの助けを得たり、仕事を他者に割り振ることができない場合とか。 T RT @kaityo256: 大きな仕事から小さな仕事に逃げちゃう奴、よくセルフ・ハンディキャッピングとか逃避行動とか言われるんだけど、自分の中での気持ちはちょっと違うんだよなぁ。失敗の言い訳を用意するつもりでも逃げてるつもりもないんだけど、ただMPが足りない感じ。 https… T RT @kurubushi_rm: 抽象に考える能力の有無はQOL(生活の質)に関わる、とマイケル・ホワイトが言ってる。ナラティブ・セラピーで知られた人だけど、個人を責任の宛先にする性向をフーコー使って粉砕し、ネガティブな出来事ばかり拾ってスパイラルに悪化するクライエントの自… T RT @kurubushi_rm: @kinounobara 「自主的にやれ」「自発的にやれ」という指示は、ベイトソンらの持ちネタですが、どうあっても従えないパラドクス的指示で、仮に命令に従って行うと自主的・自発的でないことになる、という奴です。「内発的動機づけ」にもこの風味が… T RT @kurubushi_rm: @kinounobara ベイトソン直系のMRIのワッラウィックたちの本に「ユートピア・シンドローム」というのが出てくるのですが、解決しようのない問題を解決しようとして、よりひどい事態をまねく悪循環を生むパターンで、いちばん有名な例は禁酒法で… T RT @matsudotsuyoshi: 責任倫理と責任感の関係みたいなことを考えていた。前者は問題解決者としての試行錯誤プロセスの根底にある倫理観であり、後者は語用的には、他者を責めるときに使う。しかし、その責任を押し付けているだけで、実際に改善に導くような助言に至らないこと… T RT @matsudotsuyoshi: 個人の行為の改善を法律で動機づける(真面目に働かせたり、試行錯誤させる)ことはできないので、その人の行動の一貫性や誠実性を評価して責任感のある(ない)人間とみなすことでしか介入しようがないみたいな話なのかも。https://t.co/… T RT @matsudotsuyoshi: 主体性というのは、受動的―能動的の軸で図られる概念ではないのかな?つまり主体性がないというのは、言われた通りのことしかしないとか、やらないと罰せられるので最低限の仕事だけをするとか。責任感とは違ったニュアンスを感じた。 T @matsudotsuyoshi こちらの件は「他人に主体的であれという人」と「他人に責任感を持てという人」の内面に似たものがありそう、という趣旨でした。 T @athlonz その解釈が正しいならTwitterやゲームによって損なわれるので「TwitterやゲームをやることでMPを回復する」という主張とは矛盾するように感じます。 T @athlonz 「MP(酸素)が足りないので散歩してくる」「MP(糖分)が足りないのでチョコを食べる」は納得できるし、実際によく行われているように思います。Twitterやゲームによって何が回復しているのかはよくわかりません。 T @athlonz なるほど、つまり「複雑でない処理をすることによって、複雑な処理をすることに疲れた脳を休めることができる」ということなのですね。納得です。その話を聞くだけだと回復効率は寝た方が良くて、Twitterやゲームをすることによって回復しようとするのは合理的でないように思いますが。 T @athlonz たぶん、疲れてある種のMPが少なくなると「寝た方が良い」という判断をできなくなるように思います。 T