絶対矛盾的自己同一1.3
絶対矛盾的自己同一1.3
from 絶対矛盾的自己同一1
絶対矛盾的自己同一1.3
右の如くにして、歴史的世界において、主体と環境とが対立し、主体が環境を、環境が主体を形成し行くということは、過去と未来とが現在において対立し、矛盾的自己同一として作られたものから作るものへということである。歴史的世界においては単に与えられたものはない。与えられたものは作られたものである。環境というものも、何処までも歴史的に作られたものでなければならない。 故に歴史的世界において主体が環境を形成するということは、形相が質料を形成するという如きことではない。
物質的[世界というも、矛盾的自己同一的に自己自身を形成]するものである。絶対矛盾的自己同一としての歴史的現在の世界においては、種々なる自己自身を限定する形、即ち種々なる生産様式が成立する。それが歴史的種と考えられるものであり、即ち種々なる社会である。社会というのは、ポイエシスの様式でなければならない。故に社会は本質的にイデヤ的なものを含まなければならない。そこに生物的種との区別があるのである。イデヤ的に生産的なるかぎり、即ち深き意義においてポイエシス的なるかぎり、それは生きた社会である。 私のイデヤ的生産的というのは、歴史的物質的地盤を離れて、単に文化的となるということではない。それは形成的主体が環境を離れることであり主体が亡び行くことである、イデヤがイデールとなることである。主体が環境を形成する。環境は主体から作られたものでありながら、単に作った主体のものではなく、これに対立しこれを否定するものである。我々の生命は自己の作ったものに毒せられて死に行くのである。何処までも主体が生きるには、主体が更生して行かなければならない、絶対矛盾的自己同一の歴史的世界の種として世界的生産的となって行かなければならない。歴史的世界のイデヤ的構成力となって行かなければならない。生産した所のものが世界性を有たなければならない、即ち世界的環境を作って行かなければならない。かかる主体のみ、いつまでも生きるのである。主体が歴史的種として世界的生産的となるということは、主体がなくなるということではない、その特殊性を失って単なる一般となるということではない。無限の過去と未来とが何処までも現在に包まれるという絶対矛盾的自己同一の世界の生産様式においては、種々なる主体が一つの世界的環境において結合すると共に、それぞれがポイエシス的にイデヤ的であり、永遠に触れるということができるのである。すべての主体的なもの、特殊的なものが否定せられて、抽象的一般の世界となるということでもなければ、すべての主体が合目的的に一つの主体に綜合せられるということでもない。種の主体的生存ということと、文化とは必ずしも一致せないと考えられるが、何らかの意義においてイデヤ的生産的ならざる主体は世界歴史において生存することはできないであろう。イデヤは主体的生命の原理でなければならない。但ただ、作られたものとして既に環境的となったもの、而して作るものを作るという力を有せないものが、主体から遊離した文化である。世界を唯作られたものとして見るのが、単なる文化的見方である。