情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記
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第二次世界大戦中の日本軍の司令部(大本営)で、情報を集め解釈する仕事をしていた堀さんという方の自叙伝。 情報なき国家の悲劇大本営参謀の情報戦記を読んだ。現代の日本の組織にも通じる示唆に富んだ逸話が満載だった。
読む人にとって面白いと感じる部分は異なるだろうけれども、とにかくどこかは面白いと感じられると思うのでぜひどうぞ。
私には「情報」「補給」を考える大事さがよく伝わった。
司令部といえば、戦略を立てる役割を担っているというのは共通した認識だろう。 戦略を立てるためには、現在彼我の状況がどうなっているかを判断する情報が必要である。
そのとき決して感情を入れないことである。 作戦当事者が誤るのは、知識は優れているが、判断に感情や期待が入るから
のとおり、どうやるかを決める作戦と、現状をどう見るかを判断する情報は別の人が行っているそうだ。 百年も前から別人でやるように制度ができていると記述があり、よくできているなあと思った。ただこれが当時の日本独自なのか、普遍的な内容なのかはこの本からはわからなかった。
私がもっぱらプログラミングで扱っているのは、信用でき、かつ集めようと思えば順番に集められる完全な情報であるが、 堀さんが取り扱っていた情報は、
欲しいと思う情報は来てくれない。 そして不完全な霧に包まれたような情報が、皮肉にも大手を降ってやってくる。 欲しいものは二分、霧のようなぼんやりしたものが三分、あとの五分はまったくの白紙か暗闇のようなもの
といった、確度にムラのある不完全な情報がバラバラな順番で来るため
一本の線で一方的に見ないで、他の何かの情報と関連があるかどうかを見つけようとする。 従って二線、三線の交叉点を求めようと努力
し複数の別の情報源からも同じ結論に至る裏付けを取り、情報の真実性を精査しなければいけない。もしかするとビジネスでの判断に使う情報はこのような不確実なものが多いかもしれない。
例えば、同じ大本営の中でもドイツとソ連の戦いでどちらが勝つか判断が分かれていた。 同盟国のドイツから情報を集める課では、ドイツの中枢から得られた情報を疑わず(一本の線で一方的に見て)、ドイツが勝つと判断していた。 敵国であるソ連から情報を集める課では、外部から観測可能な情報を疑いをもって調べ(二線、三線の交叉点を求めようと努力して)、ソ連戦力の充実を見抜き、ソ連が勝つと判断していた。 結果としてはソ連が勝っている。(この情報の集めかたはオープンソースインテリジェンスという手法かもしれない) さらに、味方からの情報も真実性を精査しなければいけない。 例えば、台湾沖での航空戦での戦果は、パイロットが自称したものを確かめる方法がなく、 各自の申告を足し合わせると大戦果となり多いに盛り上がったが、実際に後ほど検証するとその一割にも満たなかったそうだ。
しかしそんな不完全な情報の中でも情報の判断をすることが求められる。
判断で最大の難事は、言い切ることである。しかも情報の判断をする者には、言い切らなければならない時期が必ずやってくる
判断を下すための要素は下のように述べていた。
勘というのも重要な洞察であって、出鱈目の出まかせではない。 研究に研究した基礎資料を積み重ねて、その中の要と不要を分析して出てきたものが情報の勘である。 目前の現実を見据えた線と、過去に蓄積した知識の線との交叉点が職人的勘であって、 勘は非近代的な響きだというなら、積み上げた職人の知識が能力になった結果の判断とでもいったらよい。
ラグビーワールドカップで日本が躍進したときのヘッドコーチ、エディ・ジョーンズ氏が 『コーチに必要なスキルは「サイエンス」と「アート」』 と言っていたのに似て、 再現可能な「サイエンス」の領域と、その人にしかできない「アート」の領域を両方使う役割なのだという印象を受けた。
本人が情報を扱うところも示唆に富んでいておもしろいのだが、 こういった職業訓練を受けた人が見た日本軍と米軍、その後の自衛隊の話もおもしろい。 いくつか印象に残ったところを列挙する。
軍隊の戦力を分析するのに極めて大きな示唆を与えてくれた。 士気や、伝統や、偉容や、軍紀や、服装とかの精神的要素を誇示する前に、 「鉄量」という戦力がいかに大きなものであって、少々劣弱な軍隊も鉄量物量の壁の向う側に隠れてしまうものだ
鉄量というのは、ここでは装備品や弾薬、設備の充実といった意味だ。 仮に質がよくても、量が少なすぎると戦いに負ける。
中央から送ってくるものは、激励と訓示と戦陣訓と勅諭だが、 第一線の欲しいものは、弾丸だ、飛行機だ、操縦手だ、燃料だ、食料だ。
中央というのは、大本営、つまり作戦を出すところ、第一線というのは、今まさに戦場となっているところだ。 想像するに弾丸、飛行機、操縦手、燃料、食料といった物や人は、育てたり補給線を継続して確保しておかなければならず、送りたくても送れなくなっていたのだろう。 激励、訓示、戦陣訓、勅諭といった言葉は、戦闘が始まってからでも無線などで送れたのだろう。
なぜ日本は制空権を失ったか、『軍の主兵は航空なり』これを戦前に採用しなかったからだ。 日本の作戦課ではいまでもまだ『軍の主兵は歩兵なり』と言っている。 海軍が大鑑巨砲主義という日本海海鮮の思想に止まっていて時代遅れだと、陸軍が海軍を非難するが、 その陸軍は奉天会戦時代の歩兵主義から一歩も進歩していない。どちらも頭が古くて近代戦を知らないのだ。 軍人の全部ではない、作戦課という一握りの人間が勉強しなかったのだ。
なぜ補給線を確保できなかったかというと、制空権を失い、補給路の安全が確保できなくなったためだ。 それではなぜ制空権を失ったのか。作戦を出す人達が成功体験を忘れることができず、知識のアップデートと方針転換がうまくできなかった。
日本のように、いったん戦場に動員されると終戦まで行きっぱなしというのと、米国での軍隊の使い方は違っていた。 (中略) いったん戦闘をした師団が次の上陸作戦に出てくるには、最小限六ヶ月、その前後の準備期間などを入れると、六ー八ヶ月がローテーションと見られた。
用兵術も異なっていたようだ。一旦戦闘して消耗すると、後ろに下がり半年程度の期間で回復に努め、前線には代わりの部隊が出てくる。 これをやるためには結局物量が必要なのだろうれども。
換言すれば一名の兵員を職場に遅ると、現在着用している分と併せて四着分の上衣が必要であって、 二百万人の兵員には直ちに八百万着の上衣を準備し、しかも命数が三ヶ月だから、三ヶ月毎に一着の上衣を新しく調達しなければならない
日本陸軍では、一度与えられて戦地に向った部隊は、これを修理して着用していくのが原則となっていて、米軍のような更新計画はなかったようである。
衣服のことをとっても、米軍と日本軍では考えかたに大きな違いがみられたようだ。 米軍の教科書のようなものには以下の記述があった。第一線から「欲しい」と言わなくても自動的に補給されてくる。 一方日本の陸軍では「欲しい」と言わないと送られてこなかったようだ。
想像するに、補給物資が足りているかどうか足りていなければ後ろに言うことに第一線の考えや人員のリソースが必要になると、 目の前の敵に対処するためのリソースが減ってしまうので第一線としては弱体化と言えるのではないか。
ここらへんは在庫でのPush型(常に一定数を受け取り続ける)、Pull型(必要があるたびに発注し届けてもらう)というのと似ているけど、好ましいとされるのが逆になっておもしろい。在庫だとPush型が基本のところ無駄のないPull型が好まれるが、兵站だとPush型が好ましそうだ。
最近の日本では、災害が起きたときの支援に既存のプル型支援の他に「具体的な要請を待たないで、必要不可欠と見込まれる物資を調達し、プッシュ型支援で被災地に緊急輸送」というプッシュ型の 物資支援 という選択肢が増えたのを思い出した。
他にも作戦を立てる人が第一線に行かないせいで現地の状況が想像できず実態にそぐわない作戦を立ててしまっていたことや、 会議での合意をもってして決定としようとする責任を回避したい上長の話や、 戦いがはじまってから情報を集めようとする泥縄さの話など、 切り口は盛り沢山だしどれも現代の日本の組織で起きている問題に似ている気がした。