06.22|またもや朝
童文を読み終えたので、感想をまとめている。読んだ感想をメモ帳に書いておいたのだが、いかんせん自分の文字がはしりがきで汚く、みみずがのったくったのか?という風にしかみえないものが多々ある。はしりがきするにしてもせめて読み返せるなにかであれよ、と過去の自分に怒るしかない。でもそのときはその速度感で書かないと忘れるから仕方ないっちゃ仕方ないのだ。文字がなにかを探ってくほうがまだ、労力的にはましだし。………(たぶん)
そして今朝は別件で、フィクション耐性のなさ、みたいなものとぼんやり対峙することになった。そういう動作をしてゆくなにかを目撃するたび、「もっといろいろ、あかんのもええのもみるとええんやで」みたいな気持ちになる(たくさんみてても言及の仕方が一辺倒すぎてそうなる可能性もあるけど)。自分の中にある景色の通りにものがならないと嫌なのは、部屋の模様替えとか自分がつくるなんらかに対してだったら別にええのだろうけど、誰かと誰かが一緒に動いて、その中で不意に生まれてくやつにそういう言及し始めるとまあ大変というか、人間同士のやりとりの発生をなんだと思ってるんだい、とは正直なる。でもこれも慣れというか、言葉としてあらわすにもわからないからこういう発露になるのかもしれない。それかそこで、ものにたいする深めが止まり、発露だけが残ったとか(コミュニケーションをする気がなく、一方的に圧をかけたいだけとか)。
自分にとって苦手な側面があるが、もしかすると、たぶん、これはこういうところがひとによっては良いものなんやろな、愛されるんやろな、みたいな感覚とか、置き所とか、そういうのをいろいろ発見できるとええんやないか、と思う。思いつつ「でもやっぱ、おれはこれはダメだと思う」となってええわけやし(みる様子、でしかないので)。失敗して反省するうちにわかってくものでしかないのかも。ものを摂取するときは、「さあ料理人、わたしにおいしくくわせてくれ」と「さあ自分なりに、目の前にあるものをおいしくたべるぞ」がたぶんあり、それを両方持ってるとたぶん、いいのやけれど、こんなものは塩梅でしかなく、なにが正しいとかもない。ぼちぼちでしかない。なんにしても目撃した後に、そこへ向けて自分の中で出現した、「不安定なもの」を由来として当たり散らかさなけりゃええんやと思う。マウントをとったり喧嘩をするためだけの文言になると危ないのやと思う(そして発露がそればっかりになるのに陥る、とか)
たぶんこういうのは、10代のころに出現しては(というかどんな年齢であっても)、機微の中で変化してゆくというか、「あ、これはだめなんだ。じゃあ思ったとしても出力のときにこうしてみよう」と、年齢を重ねれば重ねるほどするしかなくなってくるなにかで(ならなくても別にいいのだが)、悪いい方をすると「言葉の出力をなんらかを由来として意識するようになってしまった」とも取れる。でも、それをそうできないから困っている、気もする。一概になにかを悪いものとして言いたいわけでもないが、その動作は、こういう風な悪的要素があるよ、と自覚してゆかないといけない、みたいななにかと感じる(動作自体はえてしてすべて、悪要素をもつと思うけれども)。
自分の感情がなんなのかわからないから攻撃的になる側面もたぶんあり、であればもっと自分の言葉がなにかを、はっきりわからなくてもいいが、このへんかもしれん、と、自分とぼんやり向き合って探ってみてほしい、など思った(お節介すぎる。わたしも別に言葉をきちんとつかえるわけでもないのに)。発生したものを認識できるのは結局自分だけだし、親や先生や神様がやってくれるわけでもない(そしてこれは、「できないな」で終わるのでなく、できないならじゃあどうしよう、という思考をやめるのはあんまりよくない、みたいなニュアンス方向でしかないもの。諦めるのもたぶん大事。しかし開き直れるかというとすべてがそうではない、ようなもの)
いち人間がそこに存在することをなんだと思ってるんだろう、となることがたまにあるのだけれど、今朝はわりとそうだった。そういう朝だったが、たのしさというのにはこういう側面があることが多く、なんにしてもみる位置をすこしずつ増やせるといいんやろな、となった朝。自分が間違えることもそうだし、誰かが間違いをすることを(間違えるというか、そういう風に言及できうるもの、というか)悪的に捉えすぎている、そういう風に普段から言及されているのかもしれない。人間なんてなかなか最善択をとれるわけでもないよ、というやつな気もする。生きてるとだいたい、どこかでなにかを間違えるよ、ということにも思う。それは瞬間かもしれないし期間の長いものかもしれない。終わりがあるのかもわからない。でも、これはあくまで、自分の中でそう反芻・反省するもので、改善をはかるもので、周囲がそれを断定するのは場合によるというか、言及感が一択しかなさすぎると思う。許されないものは許されないし、許したくないものもあるはずで、すべてが同じ判断には絶対にならない。わからない。わからないばかり今日は言ってる。漠然。人間はむずい。