宗家(本家)と分家
「宗家」とは一族の中心となる家、「分家」とは宗家から分かれて新しく立てられた家のことです。
※宗家(そうけ):一族の中心となる家。
一族の中心: 血筋の中心を継承していく家です。長男が跡を継ぐことが一般的でした。
財産と権威: 財産の多くや一族の権威が宗家に集中し、分家を統率する立場にありました。 別名: 「本家」と呼ばれることもあります。また、伝統芸能の世界では「家元」とも同義で使われることがあります。 分家
新しい家: 宗家から独立して、新しく立てられた家です。次男や三男以降の息子が分家となるのが一般的でした。
宗家への従属: 家制度のもとでは、分家は宗家に精神的・社会的に従属する立場にありました。
独立: 宗家から土地や資産を与えられて独立することがありましたが、その規模は宗家の財力によって様々でした。
別名: 「新宅」「新家」と呼ばれることもあります。 現代における「宗家」と「分家」
第二次世界大戦後の民法改正によって家制度は廃止されたため、法律的な意味での宗家・分家の区別はありません。しかし、文化的・慣習的な概念として、以下のような場面でこの関係性が残っていることがあります。
伝統文化: 能や茶道など、家元制度が残る伝統芸能の世界では、「宗家」が流派全体の統率を担います。 旧家: 旧家と呼ばれるような家柄では、家や土地の継承、墓の管理といった役割を、慣習として宗家が担うことがあります。
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「宗家」や「分家」という言葉の歴史は、明治時代に法制化された「家制度」によって確立されましたが、その起源はそれ以前の武士社会や、さらに古い時代の氏族制度にさかのぼります。
古代・中世(氏族制度)
古代日本では、血縁集団を基盤とした「氏(うじ)」が社会の基本的な単位でした。 有力な氏族(しぞく)は、朝廷から「姓(かばね)」という地位を与えられ、氏のなかでも中心的な地位にある家が宗家的な役割を担っていました。 本家と庶家(しょけ)
中世の武家社会では、本家(宗家)の権威を保持するために、嫡流(ちゃくりゅう、正当な後継者の血筋)と庶流(しょりゅう、分かれた血筋)という考え方が定着しました。 嫡流が本家として一族の土地や権威を継承する一方、庶流は新しい家を立てて本家を支える役割を担いました。
武家社会における「家」の確立
大名家では、本家と分家の関係が将軍家との関係にも影響を与えるなど、家の秩序を保つ上で重要な意味を持ちました。 庶民への浸透
江戸時代の中期以降、武士階級の「家」の観念が庶民にも広まっていきました。 農村や町人社会でも、長男が本家を継ぎ、次男以下が分家する慣習が定着しました。
血縁関係のない奉公人などが主人の許しを得て独立する「奉公人分家」という形もありました。 近代法における「家制度」
1898年(明治31年)に旧民法が公布・施行され、それまでの慣習であった「家」の制度が法制化されました。
「戸主」を中心とした「家」の秩序が法律によって定められ、戸主には家族を統率する強い権限(戸主権)が認められました。 この制度のもとで、長男による家督相続が一般的となり、本家と分家の上下関係が法律的に強化されました。 現代(家制度の廃止と慣習の残存)
戦後の民法改正
第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に民法が改正され、個人の尊重や法の下の平等を原則として、家制度は廃止されました。
これにより、法律的な意味での宗家・分家の区別はなくなりました。
慣習としての残存
法律上の制度はなくなりましたが、地域によっては慣習として本家・分家の関係性が残っており、親族間での役割分担や祭祀の継承などに見られます。 また、伝統芸能や武道の世界では、今も家元制度として宗家制度が存続しています。