リブログの精神
Tumblrもリブログ文化も知らないnagasena.icon
けどスピードとボリュームの崇高な美
これがインターネットの精神か
カント(判断力批判で)も認めざるを得ない
塊根を投げつけている感じ
https://gyazo.com/f7d8dd423cc241f64a726a2172c43461
枕投げしてるみたいで楽しい
身体がぐちゃぐちゃになる
功利を離れたコピーアンドペースト
ゲームとしてのコピーアンドペースト
https://gyazo.com/6decd32b3025996039f9f3a980603ee6
叫びの壺、みたいな
あんまり細かいことは気にしない
コピペすることに快楽がある
なんだかんだいって、意味があることだけを求められるようになったSNSから離れたユートピア
無意味の中にあるダイナミズム
ありがとう
スキゾなtaizoooさん
ナードな橋本麦さん
インターネットを思い出しました
ーーーーーーー
ブログをある程度コンスタントに書き続ける、というのは、ブログを書く能力の一部な気がする。 書いてないと失われる、というだけでなく、書いている事で続けられるようになる、みたいな部分がある。 書きたい事がある時だけ書く、と思って最初だけなんか気合入れて書いて、以後別段書く事無い、というのは失敗パターンだよな。 書き続ける事が必要だという事を知ってる、というのはブログを書く能力の一つに思う。
ブログを続けるには、一つの記事の書くコストを上げすぎない必要がある。 コストを上げすぎない為にはいろいろと方法があると思うが、自分的に重要なのは、出来の悪い文章を受け入れる、という事。
もう一回見直せばもうちょっと良くなる時でも、そのもう一回の見直しをやらない。 結果として多少出来は悪いが、その分の労力を次の記事に掛ける。
ブログは一回だけ気合入れた記事を書く、というメディアでは無い。継続的に更新されるメディアだ。 継続して更新する為に、記事単体としての出来の良さはある程度犠牲にする必要がある。
あと、続けるたためにはあんまり自分の書いた事が嫌いにはならない事が大切と思う。 これは単純に自分の書いた文章を好きだと思っておけ、という気の持ちようの問題の部分もあるし、また、自分が嫌いなような事をあまり書かない、というのもあると思う。 自分が嫌いなような事を書いてしまいがちなのは、最近はSNSとかの反応に適応しすぎた場合に起こる気がする。 だいたいろくでもない煽り記事とか書いてしまってあとで後悔する、みたいな。 あとはげんなりするコメントを見るとかも書いた物が嫌になるパターンとしてあると思う。
反応が無いのに慣れるのも必要な事と思う。 昨今はあんまりまともなブログ記事には反応が無いものなので、反応が無いものだ、と最初から思って粛々と書いていく方が良い気がする。 あんまり反応を求めるとあとで見て嫌な事を書いてしまいがちなので、反応が無い方に順応する方が長続きする気がするブログを続けるには、一つの記事の書くコストを上げすぎない必要がある。 コストを上げすぎない為にはいろいろと方法があると思うが、自分的に重要なのは、出来の悪い文章を受け入れる、という事。
もう一回見直せばもうちょっと良くなる時でも、そのもう一回の見直しをやらない。 結果として多少出来は悪いが、その分の労力を次の記事に掛ける。
ブログは一回だけ気合入れた記事を書く、というメディアでは無い。継続的に更新されるメディアだ。 継続して更新する為に、記事単体としての出来の良さはある程度犠牲にする必要がある。
あと、続けるたためにはあんまり自分の書いた事が嫌いにはならない事が大切と思う。 これは単純に自分の書いた文章を好きだと思っておけ、という気の持ちようの問題の部分もあるし、また、自分が嫌いなような事をあまり書かない、というのもあると思う。 自分が嫌いなような事を書いてしまいがちなのは、最近はSNSとかの反応に適応しすぎた場合に起こる気がする。 だいたいろくでもない煽り記事とか書いてしまってあとで後悔する、みたいな。 あとはげんなりするコメントを見るとかも書いた物が嫌になるパターンとしてあると思う。
反応が無いのに慣れるのも必要な事と思う。 昨今はあんまりまともなブログ記事には反応が無いものなので、反応が無いものだ、と最初から思って粛々と書いていく方が良い気がする。 あんまり反応を求めるとあとで見て嫌な事を書いてしまいがちなので、反応が無い方に順応する方が長続きする気がする。
「 fav はイイから join して」
アドベントカレンダーに join する、というのは fav や retweet と同じようにただクリックするだけ、とっても簡単な動作なんだけど、それとは全然違ってて、全部自分に返ってくる。だから怖いし、危険なのだ。誰もがそれを本能的にわかっている。ヤバイ、危ない、近づくな。
この二つの距離は数十光年と恐ろしいほどかけ離れている。「インプレッション」とか「エンゲージメント」なんていうものは、実践、実行、実現という意味ではまったく当てにならない。だから結局は自分の血を流さないと、目的には届かないのだ
「射程」の話
リブログの倫理とインターネットの精神