Ecology Without Nature
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(Author) Timothy Morton
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INTRODUCTION
ECOLOGY / ENVIRONTMENT / NATURE
『自然なきエコロジー』は、いかに「自然」が超越的な原理となったかという問題を検証する
「自然 Nature」という幻想
Deep Ecology / ディープ・エコロジー
人間中心主義 Anthropocentrismから生態系中心主義 Ecocentrismへ
「世界観(Weltanschauung)」概念がベース
思想が世界を変えられるというロマン派由来の概念
ex) 菜食主義(ベジタリアン)が「環境保護」「非暴力」「反戦争」というような政治的な方向性を持っているように
cf.) " Re-Imagining the Body Shelly and the Languages of Diets"
(ティモシー・モートンの博論:シェリーにおける菜食主義論)
議論の進め方
記述 describing / 文脈化 contextualizing / 政治化 politicizing
記述 describing
環境芸術 environmental art の探求
文脈化 contextualizing
芸術はいかにして空間 spaceと場所 placeの感覚を伝えるか?
政治化 politicizing
環境芸術が、そのテーマ的内容が何であれ、言語の特定の形式的特性によって制約されていること
環境的内容 environmental content → 環境的形式 environmental form
第1章
さまざまなメディアの作品を分析するための語彙を提示する
アンビエント詩学 ambient poetics
書かれた文字の空間 literal space of their inscription——言葉と言葉の間の空間、ページの余白 margins、読者の物理的・社会的環境——をいかにしてコード化するかという視点で読む唯物論的な方法
18世紀後期にロマン主義が出現した感性の詩学と関係がある
環境美学は、常にではないとしても、頻繁にこの形式の唯物論に捕らわれている
第2章
自然保護団体のカレンダーから実験ノイズ音楽まで、文化のあらゆる側面における環境への現在の強迫観念obsessionsを構成する概念、信念、実践の歴史とイデオロギーを研究する
現在の環境主義はいかにして生じたのか
芸術と文化についての私たちの概念にいかなる影響を与えるのか?
資本主義が効力を発揮し始めた瞬間としてロマン派の時代をとらえる
そこから環境主義が直面するジレンマと逆説を理解する
なぜポスト・ロマン派が空間spaceと場所placeに執着するのか
消費主義consumerismとアイデンティティに関わる
第3章
ここからいかなる種類の政治的・社会的思考、制作、実践が可能なのか?
社会的・政治的動物としての私たちの環境芸術と文化への関係が何であり得るか
code:statement
第1章は、環境芸術のそれ自体の説明でありながら批判的反省でもある環境芸術の理論を提供する。
第2章は、この環境芸術の「概念」について理論的反省を提供する。
そして第3章は、さらなる反省である。この「理論の理論」は政治的である。より高度な「理論的」抽象化のレベル(抽象化は理論的であることから程遠い)を達成することから遠く離れて、この本は、ますます高い具体性のレベルに「上昇」する。『自然なきエコロジー』は成層圏に浮遊していかない。また、地球に十分に降下することもない。なぜなら、私たちが進むにつれて、地球はかなり異なって見え始めるからである。
Chapter 1 offers a theory of environmental art that is both an explication of it and a critical reflection. Chapter 2 offers a theoretical reflection on this, the "idea" of environmental art. And Chapter 3 is a further reflection still. This "theory of the theory" is political. Far from achieving greater levels of "theoretical" abstraction (abstraction is far from theoretical), the volume "rises" to higher and higher levels of concreteness. Ecology without Nature does not float away into the stratosphere. Nor does it quite descend to earth, since the earth starts to look rather different as we proceed.
nagasena.iconとりあえずIntroのステートメントがキマってる。というか、ここまで「ポストモダン理論」の影響を見事に隠さない人というのも珍しいのかもしれない…?それだけ真っすぐにポストモダン理論――揶揄されるそれではなく――を信じている。ナイーヴに見えるかもしれないが、切実さはところどころにみえる。
「もしエコロジカルな批評がより開かれて、脱構築との誠実な関わりを持つなら、それは敵というよりは友を見つけることになるであろう」