第五章 ハッキング
https://gyazo.com/505d3e5a3d8d5372d2224b5c93f4eb3c
<脱中心化以後に管理=制御はいかにして作動するのか>
→「プロトコル」によって
単に管理=制御を今までのものと置き換えるだけではなく、これまでに知られているマスメディアの中で最も高度に制御されたものを創り上げるまでになっている p253
本章のテーマ: なぜプロトコルによる管理=制御が成功したのか、そしてその抵抗に関する道筋について
プロトコルの拒絶は馬鹿げたほどのコストがかかること
インターネット一般が使えないだけでなく、それを前提とした社会生活そのものが著しく困難になる
プロトコルが信じがたいほどの魅力的なテクノロジーでもあること
包摂にかかわるテクノロジー
ネットワークにおいて友好的なグループを作ることができ、そしてそこに「自分もその仲間のうちに入れられたと感じ」ることができる
その包摂のために開放つまりオープンであることが重要である
プロトコルに対する抵抗というものはありえない p254
「プロトコルに逆らうということは、重力に逆らう ようなものであるーーそうすることができないというわけでは決してないのだが、その方向を突き詰めることは間違いなく誤った方向づけをなされてしまうし、最終的に何ら重力を損なうということにはならない。」
管理=制御はかつての社会の法則のひとつからむしろ自然の法則に近しいものとなった
プロトコルの論理に基づく時代のうちで、
プロトコルに基づきながら、プロトコルの管理=制御に抵抗を通して、プロトコルを刺激的な新たな空間へと移行させること p255
この時代において権力と権力に対する敵との区別がつかなくなった
ネットワークにとっての敵がネットワークでもある時代における抵抗とは
抵抗の意味あるいは本性そのものが変容してしまった
→プロトコルの時代において、プロトコルの論理に基づく圏域sphereの内部から導き出された政治的な戦術を必要とする p258
このことを考える上でプロトコルの論理と密接につながりがあるハッカー / ハッキングについて考える(本章)
→ハッキングはその性格から、プロトコルの論理に基づく時代のもろもろの変容の前兆になっている p265
ハッキングを(アレゴリカルに)考えることはプロトコルの論理の時代を考えることにもなる
ハッカーたちは他の誰よりも プロトコルをよく知ることによって、プロトコルを肥大した状態にまで押しやり、その向こう側へと到達しようとする p266
RSGによるCARNIVORE p263
コンピューターへのアクセスは…、制限なく全体にわたるものでなくてはならない
あらゆる情報は自由=無料であるべきだ
権威を信用するな――脱中心化を促せ
ハッカーたちは、彼らのハッキング行為によって判断されるべきであって、学歴や年齢、人種や地位といった、インチキbogusな基準によって判断されるべきではない
コンピューターの上に、アートそして美を創り出すことができる
コードとしての美しさの追求
応用可能性があるコードを書かなければいけないという実務的な理由?
コードは自分の思考の足跡そのもの
コードを公開することは裸をみせるようなこと(ある種の暴力にもなりうる?)
→「コードを公開していないヤツはダメだ」という排他性につながる?
コミュニティの内部での政治関係からでてくるイヤさ
マッチョイズム
「こんなコード書けるんだぜ、すごいだろ」
隠すことが弱さ
コンピューターはあなたの生活をより良いものに変えることができる
→
反権威性
プロトコル自体も恣意的な権威を抹消しようとする p260
ユートピア
サイバースペース p280
反商業主義
アクセス可能なものを拡げていく
柔軟性
水平化
タイガーチーム (マネジメント様式)
「タイガーチーム」 p267
コンピューター企業がシステムのセキュリティを試験するために寄せ集めて雇った集団のこと
ハッカー攻撃 となり得るものをシミュレートし、セキュリティの穴を見つけ出しては修繕することを目的とする
トヨティズム
労働者を小さな区分け(ポッド)に分けて個別の問題を解決させる
ある種 モジュール化された区分け であって フレキシブルで再配置することができ、その仕方によって いかなる問題にも対応可能な作りになっている
ハッカーたちは、その個別の問題に取り組むべく小集団の形で集結することができる自律したエージェント(なにか統合した集団ではなく) p268
プロジェクトベースド離合集散
「万国の労働者たち、拡散せよ」 p269(スチュワート・ブランド)
ノマドモデル p272
一時的自律ゾーン(ハキム・ベイ) p272
一時区を解放するゲリラ作戦
https://gyazo.com/9a1cd811de8a391673e58832e49063c6
マルチチュード(マイケル・ハート+アントニオ・ネグリ) p272
共謀
ブルース・スターリング『サイバースペースの決闘』 p273
ハッカーチームのメンバーは、その多くが仲間の本当の名前は 身元 さえ知らずにいた
ハッキングにおいて抵抗運動を考える時
なにか統合した集団として考えるのではなく、自律したエージェントの問題として考える必要がある p269
「万国の労働者たち、拡散せよ」(スチュワート・ブランド)
コード
コンピューター言語あるいはコード
自然言語と同様に意味作用を持つ
独自の統語論や文法 p273
その言語が使われる個別の共同体や文化がある p273
唯一、物理的に実行可能executableな言語 p275
単にオースティンやサールの自然言語における発話行為論とは、物質的な効力を持つという意味で一線を画する
言語がハードウェアあるいはコンピューターを物理的に駆動する
つまりコードが話すことを実際に行うという初めての言語
コードにより生み出される、変幻自在な柔軟性を備えた「ソフトウェア」というもの
「ソフトウェアは機械のようなものであり、数学のようなものであり、言語のようなものであり、思考や芸術や情報のようなものである…だが、ソフトウェアは実際のところ、これらのどれにも当てはまらない。ソフトウェアが持つ変幻自在な質的特性は、…非常に強力でいて、実に捉えがたく、ほとんど予測不可能で、そして 重大な危険を伴うものにしているのだ。」 p276
このコードあるいはソフトウェアの変幻自在でいて かつ物理的な実効性を持った力が、自律したアクターとしてのハッカーたちを駆動する
これはまたプロトコルの能力でもある。 p277
可能性(possibility)
プロトコルとは、可能性と同義である p278
プロトコルという視野に立てば、人がもしそれを行える場合に、それは悪いことではありえない。なぜなら、それが悪いことであったなら、とうの昔にプロトコルによって何年も前に法の外へと追いやられてしまっていたはずなのだから
コンピューターの論理的な世界では可能であるとすれば、それが現実なのである p278
ユートピアと可能性との密接な関係性
真のユートピアを思い描くために必要なのは
人が何を望んでいるのか、人は何を望むことが可能であるのかを知ることだから p280
ハッカーは可能性を同定するための機械である p279
極端に言えば、アルゴリズムと等しい自動機械のようなもの?
倫理性はいったん頭から消し去られる p279
可能性を制限するものは個人の行動を制限するものになる p281
オープンソースであるということが最も重要 p283
便益を繰り返し生み出すために技術開発が公共圏でなされ、純然 かつ 透明なコードとして存在しなくてはならない p283
このためにアクセス可能性が重要なものとなる
「完全化」というある種の擬似的な美学=感性学 p281
「神秘化(フェティッシュ)」とは異なる
商業上の動機付けよりも優先される p282
「ハッキングの活動の背景にある動機は…知識の獲得と冒険のスリルに由来していた」p282
ハッカーの倫理はあらゆる 商業的な命令を単に拒絶するということを通して、ユートピアを生ぜしめんとする p282