中間形態としてのテクスト
「テキストは一過性の媒体、アイデアの一時的な保管場所として扱われるようになると予想できる。いまのところ、文章は多くの場合で、終点、頂点、あるいは努力の完成形とみなされるが、いい意味でも悪い意味でも、ほかの何かのための足がかり、中間形態として認識されることになるかもしれない。」
テクストを読むことがそれほど重要ではなくなるとき、テクストから自由になれるのかな
フェティッシュな価値を持つことになるかもしれないけど
テクストから自由になりたい、欲望
テクストに溢れてるから
読書リストが与えられるから
読書リストは、「大人」になるための、つまり教養ある者になるための、イニシエーションであり、すごく呪術的なものだね
息苦しさ
どこにいてもそうだろうけどね
「基礎文献は読んどけよ?」
大事だけど、それとは別に、子どものように、読み漁って、ミックスして、自分だけの読書をして、適当に破って、書き込んで、捨てて、拾って、前を向いていく
「リミックス読書」
音楽のように。サンプラーのように。読書サンプラーみたいに遊ぶ
日記を書くとき
誰が読むのかもわかんない
自分も読むのかもわかんない
けど読まなくても、その書くということに意味があるように
教養をつけて語るための武器とするとか訓練読書とは別に、単にセラピーとしての読書、調子のよさを出すような読書
そしてそのような読書から始まって、読書以外のところに飛んでいく
ImageCastで似たような話
最近母校に敷設されていた施設ComoNeで企画募集されてたみたいなので、こういうことの問題意識のなかで企画応募した
自分の関心事と、その場としてやれそうなこと、そして共同作家とともに巻き込まれていくようなひとつのアイデア。
Xが「AI関連ポスト」に汚染されて久しいけど、あたりまえだけど「AIにできること」「AIにできないこと」で線引きして語っちる時点で、再現可能性のAI競争に巻き込まれて、落合陽一よろしく「ヌル」になるので、そういうのとどうやって自分が距離をおいていくかって精神衛生上重要で。
でもいまこの正気の沙汰でなくなってるこの時代は愉しくもあって
そのなかで、何ができるのか、動いていたい気持ちはある。
そういえばここで言われている「所有」近辺の話の問題意識が上記の企画の発端でもある
でも厳密に「所有」にこだわるわけではない
(Googleを厳密に使わないことが現代社会では不可能なように)
「所有」ではなくもし批評的な言葉でいうなら「有限性」と思う。
それをあるいは「ローカル性」「「手元性」(なんかハイデガーぽいな)というのかもしれないけど
要するに「人間が認識できる範囲で」ということ
まあ多分、AI/MLで、データセット1万枚程度くらいまでだったらなかなか厳しいけど、まあギリギリできなくもない?
10億枚とか言われたらもはや無理じゃん
Transformerになっちゃうよ
https://gyazo.com/3648ccd9b76943a49e62acfa94055cdd
さあしかし
まずなにより、小学生のときに感じていたインターネットへの万能感、オプティミスムが再来した感じがしてとっても懐かしい
AIによってなんでもできる(!?)
実際、そうで、なんでもできるから、できるからぼくは暇になったりして
パソコンから離れてパフォーマンスやったりしていた
とはいって、パソコン w/AI(LLM)はたのしくて
だから僕は暇になったりして
詩を書いたりしている
いちおう文学部出身です…しょぼいけどリテラシーはあったりする
そんで、まさか大学入ったときはこんなAIが来るとは思わなかったので
文学部入っててよかった
ちょこちょこ目につくエンジニアやメディア・アーティスト連が「詩を生成させてみました」、とかいうようなしょうもなセンス(詩)にはいかない程度には。
まーQuiitaとかで「ポエムです(笑)」とか言ってるしょうもな程度なら、しょうもな前提なのでどうでもいいんだけど、「詩」を扱うってなら、それなりに大切にしてほしい
あ、いや原理主義とか小うるさい文学部(笑)とかじゃなくて、ふつうにしょぼい文字列を「詩」っていわれて堂々とされても、はあセンスないって思う
デザインとかコードの美しさとかこだわってる割に、肝心の「詩」自体がしょぼいのって、ふつうにダサいよね
「いい詩」を書けってわけなんじゃなくて
「詩」っていうなら気持ちのせろよ、っていうもはやストリート
まあ別に文学に興味ないってのは分かる。
ぼくもそんな対して興味ない。読むのは好きだけどさ。
で、興味ないならじゃあそこでなんで「詩」を扱うのかってことくらいは言ってくれたら、楽しみやすいんだけど。
あ、書いていて思った
スマホで書いてる
スマホで、書きたい言葉をひらがなで入力して、予測変換で漢字が上手くでない。
「ひやく」って言葉を使おうと打ってみたけど、うまく予測変換ででてこない。
だから僕は、「ひやく」を使うことをやめて、「飛んでいく」って言葉に変えた
この変わり方って自由かな
気持ちいい?
予測変換のうまくなさという制約から、枷のようなものから、別のものに行くこと。
気持ちいい
話戻って
原典主義、オリジナル主義は、ホコリ臭い
それはとてもただしいのだけど、ただしすぎるっていうかな
なんでこんな文章を、ダダ漏れして書くかって
いま体力9くらいなのよね
自由
がほしい気分
真面目に読む、訓練として読書することもある
意図的に難しい本を読む
頭を疲弊させて、はやく寝たい
だから無理やりにでも英語の本とか記事とか読む
とにかく残りの体力9を消費させる
最後の最後、ラストスパート、疲弊しきるための外国語
とりあえず、誰のためでもないテクストを書く
読んでもお得にならないような、エンタメにもならないよね、こんな文章。これがセラピー。
散漫する思考のダダ漏れな文章を書く
メモに書き散らす感覚で、フリック入力をするよ
指を十字に動かす。スマホの1/3くらいのスペースを、親指の限界可動域を、頑張って動かす
親指の第一関節の運動
関節運動第一!
リミックス読書
「一つの完成された本をそのまま読む」のではなく、
要約・改変・抜粋・再構成された“複数バージョン”を行き来しながら読むこと」
なんでWebとかインターネット以後の世代なのに、いまだにオリジナルに囚われてるの
ほんとうに複数バージョンを享受するってどういうこと?
ポップソングに複数のリミックスがある
どれが“本物”かは曖昧
こんな時代に、本がいまだに紙であることに不満。
紙を否定するのではない
体験だからね、紙って
でもリミックス読書しづらいの。
かと言って、電子書籍っていってさ、Kindleとかなんとかって、Epub提供してないな
なんなのって思う
せめてPDFでしょ?
世界って、いまだ、そういうリミックス読書文化に、来ていないんだなっておもう
時代がまだ遅い
はやくやりたい
やるしかないよね
いま
時代を待っていたら、僕は死んでしまう。ジジイになって、そうして、もう死ぬんだ。
時代を、待ってる場合じゃない。