オシロスコープ的想像力
オシロスコープ的想像力 Oscillo-Graphics’ Imagination
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NT名古屋2025にて頒布
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オシロスコープは、単なる計測器である前に一つの変換器である。
しかし何の変換だろうか。
それは「電圧」を可視化させるという意味にちがいないのだが、それに加えて「時間」を、見えない物質、見えないカテゴリーを二次元平面へと漂着させてしまう。かつてデカルトが座標系を案出したときの、あのおそるべき手口のように、幾何学/イメージを解析可能にしてしまった。つまり、あるイメージがある数式へと相互に結びついて
たとえばch1 = sinθ、ch2 = cosθ(0 < θ < 2π)の時間変化する電気信号をオシロスコープ(XY)に入力すると正円の軌跡が描かれ続ける。
これが計測と呼ばれる変換である。そしてここに変換があるなら逆変換もあるだろう、と考えるのが当然の想像力だ。イメージから電気信号/電圧へと、つまりイメージ・ベースで電気信号そのものを捉えなおす契機がある。これ自体は、数学的にはフーリエ変換/逆変換で考えられもするが、たとえばオシロスコープを一つのユニークな媒体(Medium)として考えてみると、ここに大きな創造性が開けてくる。
たとえば、オシロスコープを単なる計測器としてではなく、美的な変換器として用いた古典的な例はいくつもある。数学者であるBen Laposkyの”Oscillons”(1953)のグラフィックスや、アニメーション作家であるMary Ellen Buteの”ABSTRONIC”(1952)。彼/女らは電気信号を調節・変調させることでオシロスコープから狙った絵がでるようにして制作した(試行錯誤のなかでの偶然の産物も含めて)。
この想像力において、絵だけでなく、音についても電気信号に変換/逆変換できることを知る時、それはただちに電気信号を介して、音⇔絵にするというカンディンスキーの夢を見る。1950年代、BBCの電子音楽研究所(Radiophonic Workshop)設立メンバーのDaphne Oramは、手で直接35mmフィルムに線を描き、それを光センサーで読み取って電気信号に変換し音にするというOramics Machineを製作した。この電気信号を介した音と絵の想像力は1990年代以降に(ニュー)メディア・アートと呼ばれるものとともにオーディオ・ヴィジュアルとも呼ばれるようになった。
しかしいま私たちはオシロスコープから離れつつある。私たちのコンピュータでは音楽も映像も絵もテキストもすべて電気信号(=デジタル化)であり、であるからむしろ電気信号を意識することなく、透明なものとして見えなくなった。そこで音と映像が繋がっているらしいMusicVideoとはいったい何なのか。音がスピーカーから聞こえ、映像がディスプレイから見えてくるとはほんとうにいったいどういうことなのか。音はタムとスティックの衝突の間に空気が揺れて伝わるものではなかったか。映像は1秒間に24回ものスリットが入って仮現運動が生じることで動いて見えるものではなかったか。
オシロスコープは単なるレトロY2Kではない。もはや形式としては尽くされたクリシェかもしれない。コンピュータから見えなくなった電気信号をもう一度人間に取り戻すための、オシロスコープ=媒体(Medium)である。かつて20世紀の先達がオシロスコープを美的な変換器として捉えたようにしてオシロスコープを用いること。ここで目指されるのは、Jaron Lanierが言うような、エンジニアリング/コンピュータ科学がポエティックになることで、人間的なものになること、想像力と創造性の開けに賭けることだ。