オシロスコープ・ミュージック(OsM)を考える
https://youtu.be/R9jOWIhZZCE?list=PLJ3cI_de89fibowr0u-yveFvQ7Ou_Gwac
OsM (ここではJerobeam Fendersonの開拓したジャンルとしてのOscilloscope Musicを指す)の決定的な特徴は
厳格にオシロスコープベースで音づくりと映像づくりを行っているということ
例えばオシロスコープを使った他の作家としてはSquare Pusher, Adoxo, 辻川幸一郎,あるいはもっと遡ればDaphne OramやMary Ellen Bute, Ben Laposkyらがいるが、基本的にはOscilloscop''ic''なものであり、音と映像が厳密に必ずしも一致していない。大枠は使いつつも、音の綺麗さや映像のデザインのためにある種の「嘘」(これは悪いというのではもちろんなく制作上の美学である)がある。
Ben Laposkyは音の要素はなく純粋にオシロスコープのビジュアルイメージ
それに対してJerobeam Fendersonは徹底的に音と映像を電気信号でリンクさせているので、ときに映像が虚無ったり、音がピキピキになったりして、却ってOsMのユニークさとなっている
OsMはJerobeam Fendersonの特権的なドメインになっており
過去にオシロスコープを使った幾多の作家のなかで異彩を放って現れてこれたのは、エンジニアのHansi Raberとずっと「二人」でというスタイルにあると思う
お互いに理解と尊敬とが作品ににじみ出ている
https://youtu.be/TKYrwuxLZtY?list=PLJ3cI_de89fibowr0u-yveFvQ7Ou_Gwachttps://youtu.be/cLOd03UGmH8?list=PLJ3cI_de89fibowr0u-yveFvQ7Ou_Gwac
OsMの作家としてはChris AllenやBus Errorらがいるが、とはいえけっきょくのところ本家を越える事は出来ておらず、「ジャンルもの」になっている
だからこそ、OsMから抜けてOsMをやるにはジャンルへの「嘘」や「ジャンプ」が必要
それにたいして、James H BallのOsci Renderは似た方向性でありつつも、最近は独自色を出しつつある
オープンソースソフトウェア
マルチモーダル
(mp4, wav, svg, obj, txt, lua など読み込み可)
Luaスクリプティング
独自のコミュニティ形成
Osci RenderのAndroid版/iOS版やRaspberry Pi版移植したい気持ちあり
OsMとAudio Visualの明確な違いは、Oscilloscopeを音と映像のMediumとして捉えるか、音と映像のConverterとして捉えるかの態度にある
村本剛毅さんのMediated / Mediating概念を当てはめると
Audio Visual - ConverterはMediated Message
OsM - MediumはMediating Message
という区分けにありそう
とはいえAudio / Visual (階層関係) として捉えるか、 Audio - Visual (平行関係)として捉えるかに肝がある
OsMは音であり映像であるところの電気的なイメージ(音であり映像であり、あるいは音でもなく映像でもないところの電気的としか捉えようのない美学的平行的なイメージ)
Oscilloscopeという一元が映像/音の二元になりもすれば、映像/音の二元がOscilloscopeという一元になりもするような、抽象的なイメージ
結果としてそれは虚無であり、ノイズでありうる、(そしてそのように受け取られもする)しかし感じる人にとって小さな可能性であれど、明確に区別しながらも混ざり合う、豊かな可能性のイメージ
OsMは単なるAudio / Visualではないこと
その感受性
少なくとも私はそこでOsMに取り憑かれた
ほかのAudio Visualには乗り気になれなかった
その意味でオシロスコープそのものにもアナログ・フェティッシュな関心も本質的にはない
関心があるのは、映像と音の電気信号の美学的イメージ
(現代的な=コンピュータ的な、ADC/DACの出力としての)映像や音は実は電気信号だったのだ、ということに関心がある
コンピュータ・計算機の再発見