『メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか? (Next Creator Book)』
https://m.media-amazon.com/images/I/81VNwqboF3L._SY466_.jpg https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E5%8E%9F%E8%AB%96-%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E4%BD%95%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%97%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-Next-Creator-Book/dp/4845917181/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&dib_tag=se&dib=eyJ2IjoiMSJ9.rhFWRAqoQAVeb--ExJyUNInge8LSpv8DOouFKk287ro.puHLgFzyJI-gLgF9bg4S5VkTBCvpzv8rtLmGks6vbVc&qid=1727707371&sr=1-1
ISBN:4845917181
メディア・アートにおけるキーワード
<非人間中心> → 非人間を考えることで人間を思考する
なにかを思考し始めるのは、その外部が不法侵入的にやってこなければ人間は何もモノを考えることはない(ジル・ドゥルーズ)
<還元できなさ> → 何かと何かを繋ぐ「媒質」(メディア)であること
<自己言及性>
<過去の物事の見方を遡行的に変える>
<成熟しない>
「新しいメディアの中には、きっとまだ見ぬ未知の芸術が潜んでいるに違いない」
【目次】
Introduction メディア・アートとはどのような芸術か ―アート、テクノロジー、サイエンスの諸相 畠中実
Discussion 1 「ニューメディア」アートの時代(2008年まで) 久保田晃弘+畠中実
メディア・アートという言葉
はじめにデータありき
メディアアートの歴史を大きく3つに分ける
ニューメディアアート(〜2008年)
ポストインターネット(2008年〜2018年)
現在(2018年〜)
https://gyazo.com/1d72d23e9d9cc18a34c0c36fc2487543
メディアアートという言葉が 80年代から急に上がっていっている
https://gyazo.com/95d2f2001271c25b0b530fea01951ca3
メディアアート の 言い換え として「ハイブリッド・アート 」(畠中実)が適切なのではないか
「メディア」の元々の意味は「媒質」つまり「何かと何かをつなぐ」ものである
何か 還元できなさみたいなものがある
メディア・アートの時代精神
80年代メディアアートの時代精神としてのビデオアート
ニコラ・シェフェール「新しい芸術精神ー空間と光と時間の力学」
90年代 ネットアート
ネットとは何かということ自体を表現している
ネットワークで何かしらのコンテンツを表現したいわけではなかった
「自己言及性」
フィルム時代の構造映画、ビデオアートなども同様
もし メディアアートとそうでないものを区別するものがあるとすれば 自己言及性だろう
単純に使うものとは別の思考がそこにある
メディア論の役割
「インターフェイス」という概念(90年代〜2000年代のメディアアート)
コンピューターの登場によって 今まで意識したことがなかった道具のインターフェイスという概念が生まれた
カメラのインターフェースは何か
ピアノのインターフェイスは何か
ギターのインターフェースは何か
新しく生まれた 思考を過去のものに適用することで過去のものが違って見える
そういうように時代を行ったり来たりしながら 思考すること
https://gyazo.com/28b0a5fc457e51d5282db06be7f37c8d
ハッキングの必要条件
メディアに対して「直接操作」すること
「新しさ」とは(久保田晃弘)
過去と違うものが新しいのではなくて、「過去の物事の見方を変えるもの」こそが 新しい
過去の呪縛から逃れるものとしての考古学
単なる過去のノスタルジー ではない
過去に廃れてしまったものがもし現在まで生き延びていたとしたらといった仮説を作ることによって過去そのものを作り出すこと
単にレコードの方がいい音だねというのではなく レコード というものが デジタルの時代に生きているのはなぜかということを考察させるもの
デジタルの時代に アナログや ターンテーブルがどのような形で延命できるのか という オルタナティブな進化論のようなもの
メディアのエラーによってメディアの本質を暴き出す
ビデオアートにおけるブラウン管、レコードのスクラッチ、グリッチのような逸脱
それによってメディアとは何かということを本質的に問う
マクルーハン「テトラッド」
https://gyazo.com/c5e454d424175f16c38d5c6c348c5957
拡張/衰退/回復/反転
あるメディアの登場(例えば ディスプレイ)でそれが何を拡張し 何を衰退させ 何を回復し 何を反転させたかという テトラッド
このテトラッド自体も固定された定義ではなくて、時代によって変化する
メディアアートは基本的にこのようなメディア論を前提としてある
メディア論から一歩離れたメディアアート
池田亮司
自己言及 というよりも ある種の「スタイルの創出」とも言える 別のベクトル
メディアアートにおける「量」の問題
ミニマリズム/マキシマリズム
マキシマリズム
チームラボ、池田亮司
スケールやディメンションの違いによって感覚の仕方を日常から逸脱させる
自己言及的なものや ミニマリズム みたいなところからは異なる方向
作品の優劣を超えて
なぜ「原論」なのか
ポストネットアートの流れに連なる ネットアート、ポップアート
ネットアート
ホイットニー美術館のネット アートのポータルサイト
新しい「マス」に対するクリティカルなアプローチ
ポップアートの場合
大量生産、スーパーマーケットのような大量消費、マスメディアとしての広告、テレビ
ネットアートの場合
当時ネットスケープ(後の Google)やMicrosoft、Appleなどに代表される 無邪気なカリフォルニアン・イデオロギーと商業主義の結合
JODI, "MY%20Desktop"
ブラウザの表象解体
etoy, "Toywar"
ビジネスに対するクリティカル 闘争
ポスト複製(デジタルメディアの原理)
複製技術よりも アクセス権の問題の方が本質的になった
ポップアートの場合
商業主義と複製技術の交点
ネットアートの場合
ポップアートの問題意識とデジタルメディアの原理の交点
環境的進化
アンディウォーホル(ポップアート)
「なぜギャンブルのスープを描くのか?」
「そればかり食べてキャンベルの空き缶をたくさん見ていたからだ」
(イタリア)未来派
騒音音楽、イントナルモーリ
生活環境がノイズ ばかりだからノイズで音楽を作ろうとした
ネットアート
なぜそれを作ったのか?
毎日ネットサーフィンをしていたからだ
エキソニモ、「ナチュラル・プロセス」
マーク・トライブ"New Media Art"
メディアの本質
新しいメディアが登場したことによって
過去の作品の見え方が変わる
ライフスタイルがそれ以前と以後で変わる
https://gyazo.com/b1d5113bd073b78b54fe781824abc1ba
『一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか』(リチャード・ハミルトン)
ネット・アートの重要性
現代美術-ネットアート-メディアアート
現代美術とメディアアートの交接点としてのネットアート
アンディウォーホル
「機械になりたい」
メディアアート 初期の思考法
コンピューター というものを無化するということ
幸村真佐男(CTG)
テクノロジー 批判を テクノロジーを使って行う
ナム・ジュン・パイク
人間について 思考するために人間じゃない物事を考える
一時代前のメディアアート観
分かりやすい表現の裏には常に隠れたイデオロギーがあるということに対して 警鐘を鳴らすこと
最先端という保守
「最先端」というイデオロギー
重要なのは「パーソナル」ということであり メディアがパーソナルになる時、新しいアートが生まれる(かもしれない)ということ
パーソナルになることによって他の文化と交錯することが可能になる
ハイブリッド化すること
メディアアートの原点は、メディアの元々 想定されていなかった 使い方、あるいは 能力を発見すること
「みんなと同じものを使っている」あるいは誰でも買える、DIY で改造できる普通のものを普通じゃない 使い方をする
人間が持っている感情に対して クリティカルな視点を持つこと
単に感情を肯定するのでもなく 否定するのでもない
もうヒーローは要らない
メディアアートは成熟しない、あるいは成熟してはいけない
デジタルメディア そのものが社会に大きな影響力を持つ中で、それに対して クリティカルの視点で直接 コミットするということがメディアアートの役割
ビッグデータやプログラムコード
マチュー ・フラー、"How to be a geek"
自分がやっていることをどういう歴史的、 文化的、あるいは 技術的文脈と接合したいのか、そこが一番の醍醐味
「自分が作っている作品が 美学美術史の本に入るとすれば、どういう章に書いて欲しいですか」と問うこと
これによって 美学や歴史が持つイデオロギーが顕在化してくる、これを自覚的に意識すること
どの章にも置けないものの方が、実際新しい可能性を持っていることも多い
メディアアートのマキシム
「新しいメディアの中には、きっとまだ見ぬ未知の芸術が潜んでいるに違いない」
試行錯誤 や実験、スタディ(修作)にこそある
ポール・ヴィリリオ「事故の博物館」
失敗作の展覧会
80年代以降のネット アートのアーカイブ プロジェクト(Rhizome.org)
Discussion 2 ポスト「インターネット」アートへ(2008-2018年) 久保田晃弘+畠中実
ポストインターネット状況
2007年に何が起こったのか
技術的な状況
2007年、Apple 社の iPhoneの登場(インターネット端末としての iPhone)
思想的な動向
思弁的実在論(2007年)
事物「 それ自体」の実在を試作することで 哲学の脱=人間化を図ろうとする
カンタン・メイヤスー「有限性の後で」
「ソフトウェア・スタディーズ・イニシアチブ」(2007年)
レフ・マノヴィッチ
大規模な計算とその結果の稠密なビジュアリゼーションによる定量的な文化分析
人間は前提とすることに対する懐疑
脱人間の思考による文化解析
→ビッグデータや人工知能技術を活用したメディアアート作品へ(少なくとも 前提が)繋がる
実際にメディアアートという状況に影響が及ぼされてくるのは 2010年以降
多摩美ハッカー スペース(2010年)(久保田晃弘)
インターネット・リアリティ研究会(2011年)( ICC )
ICC メタバースプロジェクト(2009年)
エキソニモ「ゴットは、存在する。」(2009年)
「可能世界空間論」(2010年)
アルゴリズミックデザイン
建築のアルゴリズミック 設計
デジタルファブリケーション
田中浩也
メディア論のアップデート
ポストインターネットという用語は現実世界をデジタル世界にアップロードすることではなく、両者を等価値に扱うという感覚
地球外生命体探索は 今のようなリアルタイム 探索ではなく 時間的にシンクロしないことを前提に行う必要がある
宇宙の空間的 スケールがリアルタイムの時間スケールをはるかに凌駕している
1万光年の距離はざらにあり そして宇宙にとって1万年というのは一瞬である
メディアのテトラッド
https://gyazo.com/58ada0224eb069f2b2ccfba7f0d0f0e2
中央:今日の「技術的支持体」と言えるデジタルメディア
「強化」:デジタリズム あるいはデータイズム
世界をデータ化することで意味を力に変えてきた人類の知性の歴史の果て
技術決定論者の共通目標
「デジタリアン」の世界
アンソニー・ダン と フィオナ・レイビー(スペキュラティブデザインの提唱者)の「United Micro Kingdoms」
プライバシー なき 監視社会
アルゴリズムによる新しい 全体主義・権威主義
これらが滑らかに デザインされた日常の中で 暗黙のうちに 許容を肯定されているような世界
うまくいけば AI やロボットによる労働と人間へのベーシックインカムの支給によってあらゆる人が音楽を奏でる キリギリスになれる社会が到来する
しかし 基本的にはディストピア
「衰退」:物質や 物体 、伝統的なクラフトや手業の世界
コンピューターやネットワーク、デジタルデータ や機械学習をあえて使おうとしない世界
「回復」:新たなオカルト やエコロジー
昔の神秘主義 のような価値観が新たな形で復活してくる
イーサネット の語源としてのエーテル・ネット
人間とそうでないものを等価に考える エコロジカルな人類学や、人工知能をアニミズムとみなす 考え方
ブルーノ・ラトゥールのアクター ネットワーク理論
エドュアルド・コーン、「森は考える」
https://gyazo.com/6bdf69ad1707387e2e69d963d158b3bc
オリア・リアリーナ、ドラガン・エスペンシード
「復活」+「強化」→ネクスト・ネイチャー(「次なる自然」)
ネイチャーとカルチャーの交換
ポストインターネットは強化と衰退の軸を、ラッダイト運動のような反動としてではなく中性化しようというもの
「反転」:身体や人間そのものへのフォーカス
「反転」+「強化」→ポストヒューマン
GUI(グラフィカルユーザーインターフェース) から HBI(ヒューマンボディ インターフェイス)
人間の身体そのものがインターフェースであるという考え方への転換
人間 あるいはデジタルという二元論の極限はどちらに行っても勝ち負けの世界
バーチャルリアリティが登場した時代に身体が忘れ去られて もう身体なんかいらないという マトリックス的な世界が語られた
昨今の AI 議論にも通じるものがある
シンギュラリティ だとか言ってるうちは それはけっきょく勝ち負けの世界
現実には AI が社会にどんどん 実装されていくことで人間との協働 という形で社会に浸透していく
それは勝ち負けの世界ではなく、私たちはまた違う身体というものを獲得できる
知能というメディア
メディアアート にとって重要なことは「知能というメディア」を意識する、あるいは「知能はメディアである」と考えること
メディアアート にとって、人工知能は道具ではなく自己言及する新しいメディア そのもの
「知能」のテトラッド を考えなければいけない
知能が強化するもの、衰退させるもの、回復するもの、反転させるもの、そこを突き抜けることができれば知能 そのものの意味も変わってくる
人工知能の議論において、知能の環境化、つまり アニメズム的な知能観をもっと重視すべき
ユビキタスでヘテロジニアスなマイクロ・インテリジェンス
ギブソンのアフォ ダンス、生態心理学 ならぬ 生態知能学が回復してくる
先に進んで行く時に一番必要なのが、懐疑論的なスタンス、あるいは「自己言及的な問い」
マジョリティが肯定している、今を形作っているもの、自らも含めて 相対主義的に疑っていく
そこで 見落とされていたことは何か、誤解されてしまったことは何か
テトラッドというのが その懐疑のための思考のテンプレート
そこからしか 未来への道 あるいは 突破口は生まれない=スペキュラティブ
メディアとオブジェクト
展開された場における支持体
https://gyazo.com/52c72b9d9ed58090e0d7103d0da942e8
ロザリンド・E・クラウス「展開された場における 彫刻」のダイヤグラムをベースに「支持体」の問題に当てはめたもの
クライン群と呼ばれる 数学的構造表現した四角形のダイヤグラム
メディウムとオブジェクト
地と図
データとマテリアル
デジタルとフィジカル
「非オブジェクト」(オブジェクトでないもの )≠ メディウム
「非メディウム」(メディウムでないもの)≠ オブジェクト
「メディウム」と「非メディウム」の狭間: メディア そのものを問い直す=メディアアート
ネットアートまでのメディアアート(2008年まで)
メディア そのものを問い直すということは必然的にメディアでないものを考えること
その狭間 あるいは 往還運動の中から 思想や意味 そして 作品が生まれてくる
「オブジェクト」と「非オブジェクト」の狭間:オブジェクトそのものを問い直す=もの派
メディアアートともの派は、主体と客体、前景と背景の分け隔てから自由になろうとしたことで 同じ志向性を共有していた
関係と全体性の中にこそ本質があるという意味(インタラクション)
「メディア」ー「オブジェクト」:ハッキング
複雑で希少な技術、技巧や匠を駆使したものが 尊ばれる
アート&サイエンス、アート&テクノロジー
「非メディア」ー「非オブジェクト」:デフォルト
デフォルティズムとしてのポストインターネット
クラウスが彫刻を「風景でも建築でもないもの」と定義したように、ポストインターネットとは「メディアでもオブジェクトでもないもの」と定義できそうである
アーティ・ヴィアカント「イメージ・オブジェクト」
ここらへんの理解が複雑に入り組んでいてすごく難しいnagasena.icon
鑑賞者中心主義
ポストインターネットと教育
Discussion 3 ニュー「メディア・アート」(2018年から) 久保田晃弘+畠中実
リセットされたメディア・アート
歴史のなかのメディア・アート
ポストインターネットを経て、今、20世紀から21世紀初頭のメディアアートを特徴をつけていた「インタラクティブ」、「デジタルコピー」(マルチメディアや カット&ペーストによる)、「タイム ベースド」といった キーワードが とりあえず一度リセットされた
ポストインターネットがある種の前提 あるいは共有された環境になった時 こうした 過去のメディアアートを特徴付けていたタームが一旦リセットされた
「タイム ベースド・アート」
絵画や彫刻のような 伝統的な 芸術 形式があって、それに加えて 時間を含むものということで登場した
ポストインターネットはタイム ベースドというに限らず、ソフトウェア ベースド、つまり ソフトウェア アートの時代である
ソフトウェアと言っても、物質を使っているか使っていないかどうかではなく、それをどのように使用しているのかが重要
物質を ソフトウェアのように使用しようとしているということが ポストインターネットの大きな特徴
3Dプリンターや レーザー加工機などによるデジタルファブリケーション技術
アートの再定義
アレクセイ・シュルギン(Runme.orgを立ち上げた ソフトウェア アートの指導者の一人)
メディアアート 2.0はメディアアートの限界を超える
メディアアート 2.0 の作品は、今、ここで 誰もが消費することのできる技術的 オブジェクトとして登場する
メディアアート 2.0は、市場 親和性の高い芸術である
フェラーリのように限定された数の作品を、ソニーのように 適正な価格で販売する。それぞれの商品には固有のエディション番号が付けられ、作品を所有している限り「ライフタイム保証」を受けられる
メディアアート 2.0は、IT企業のノウハウを超えていく
製品の実用性を超越することができない IT企業とそのデザイナーは、様々な物質的な装飾で製品の芸術的価値を高めようとしているが、それは寿命が限られているエレクトロニクス 作品の価値と矛盾している
メディアアート2.0は、アート市場の停滞に対する答え である
アート市場は伝統的なアートフォームを要求し続け、真の意味で 現代的な芸術のアイデアを消化することができない
メディアアート 2.0は、今日の アバンギャルドである
20世紀の初めに アートからデザインとなったものを、再び アートに戻すことで、人々の日常生活に アートとオルタナティブな美学をもたらす
アートが企業や資本と提携 協力すること自体が問題なのではなく、最後の一項目である「アバンギャルド」の思想を失っていないかどうか が ポイント
芸術の商業化が当たり前のものになった今こそ、もう一度「芸術というのは 意味 の問題だ」という 原点に立ち戻るべきだ
これからのメディアアートを考えていくためにはまず、ポストインターネットを経た 今日の状況で、意味 の場を作り出しているものは何か、ということをもう一度考えなければならない
社会の受け止め方
トピックス
メディアアートは時代のテクノロジー状況を反映する(のか)
基本的に事後的にしかわからない
ある時代の状況を反映したものが一つ現象化すると何々派というものになったり、あるいはならなかったりして、
しかしそれはやはりある程度時代の真ん中くらいまで来ないと認識されない
意味を作ろうとして始めるのか、
やっていくうちに意味が生じるのか
という2つの方向がある
今の時代のテクノロジー 状況ということで広く考えれば、エンターテイメントも広告もすっぽりと入ってしまうので、ある意味どれもが メディアアートだと言えてしまう
それに対してどのように 意味というものを規定していきながら、それが芸術であるための意味を見出し、それはさらに 形式として 体系化していくのか、こうしたプロセスを経て初めて「例外芸術」ではないメディアアートになる 「支持体としての芸術」
ネットアートにおけるインターネットと同じように、表現のための技術的支持体としての芸術
ある意味、芸術(表現)のための芸術ということ?nagasena.icon
だからこその芸術の自律的意味を考えなければいけない
自律とは何か他のためのものではなく、まさに自分自身のためにあるようなもの、つまり芸術のための芸術。
そして当然そこには、あらゆる 批判が来るからこそ自律的 意味を考えなければいけない(「芸術は経済活動にも役に立たないし、ただのゴミに過ぎない」)
「ゴミではない」ことの意味を真剣に考えなければならない
メディアアートは時代の技術だけではなくて、時代の思想や哲学というものを反映している
技術と哲学の両者が交錯する場としてメディアアートの作品とその制作、鑑賞行為がある
技術が可能にする体験は、一体 人間の何を変えるのか
制作手段によって、どのような 芸術観の更新が引き起こされるのか
インタラクティブアートの意味ーーなぜ脱 インタラクティブなのか
AIが示唆する、人間のためではない 芸術
メディアアートの例外性と自律性とは何か
支持体としての芸術
芸術観のアップデート
ソフトウェアと人間
おおがきビエンナーレ(2017年)
久保田晃弘
表現の表象ではなく、その深層にあるソフトウェアのソースコード、つまり プログラム言語の意味とそれを実行するときに生まれる価値の問題
アレクサンダー・ギャロウェイ
コンピューターのプログラミング言語は人間が使用している自然言語や通信 コードだけでなく人間の社会が 慣習的に考えていたどんなものとも似ていません
「プログラム言語は実行できる」ということ
つまり「実行的価値」
これまで「実行」することができたメディアはない
ソフトウェアが生み出す色や形、動きや インタラクションを議論したとしても それは本質的ではない
少なくともそこに 芸術観のアップデートはない
プログラムの実行という概念が顕在化することで自然物も計算しているという「自然計算」の概念が生まれた
三輪眞弘
人間のメタファーをアルゴリズムに適用することではなく、アルゴリズムのメタファーを人間に適用する
ただし、逆シミュレーションの価値に気付くためには、シミュレーションの価値を共有していないといけない
ポストインターネットにも、人間によってリアライズされるもの、身体化、物質化されないといけないという芸術信仰、つまり 芸術至上主義がある
だからコードそれ自体を芸術とみなすことを、拒否しているのではなくて、躊躇してきた
コードのための芸術
脱ロマン主義、脱人間主義
ソフトウェアで作られたものを人間や物によってリアライズされることによって芸術化するというのは 芸術観としては何も変わっていない
一般的には テクノロジーは常に古い 芸術観を模倣してきた
古い芸術観を新しいメディアによって 模倣してきたのがこれまでのメディアアートだった
これからは 新しい芸術観を生み出すものこそをメディアアートと呼んでいきたい]
「コードを記述し、実行し、保存する」
永田康祐
大岩雄典
「意味のマルチバース」のような多義性、多解釈性さあ きちんと 担保されていれば、メディアアートはエンターテイメントでも何でもどんどん派生していっていい
問題は、マジョリティ や ポピュリズムにありがちな、違う解釈を許さないことや、善悪、真偽、美醜を画一的に規定するモノカルチャーにある
新しいことをやる、先にやる、というよりも資本主義や 商業主義を含む、既存の社会における意味や価値観を疑ったり、批判的に考えるという スタンスを失っていないことの方がはるかに大切だ
たとえ 人と同じようにやったとしても、より深いところ、より遠いところに行ければいい
類推の芸術
『類推の山』(ルネ・ドーマル)
この「類推の山」というのは、世界の中心にあり、時空の原点でもある想像の山で、あまりに高く遠くそびえ、時空の歪みを伴うため、誰もそれを見たり登ったりしたことがない
そこで みんなでこの 類推の山に登ってみよう という、シュルレアリスム空想冒険小説
「不可能号」に乗って類推の山を目指す
そして それが未完に終わる
これこそが 芸術 行為そのものではないか(久保田)
今日、日に日にディストピア 感が強まっているのは、かつては できないと思われていたことを 、技術が次々と実現しているから
そうした状況の中で、私たち自身が、近いうちに実現できそうなことしか想像できなくなってしまった世界、これこそが ディストピア
想像できることのほとんどが、いつのまにか 実現されてしまうというデッドエンドが待っている
「今や夢は 希望に成り下がった」(アンソニー・ダン、フィオナ・レイビー)
芸術というのも、この「どこにもない類推の山への登山」のように、実現しないことを実践したり 議論する場ではないだろうか
「登山とは、最大の慎重さを持って最大の危険に立ち向かいつつ、山を歩き回る技術である。ここで技術と呼ぶのは、ある行動を通じて、ある知識を遂行すること」(ドーマル)
バイオアート 増田展大
メディアの拡張と自然観の変容
短いコードを擁護する In Defence of the Short Code 久保田晃弘
keywords
ハイブリッド・アート 畠中実
インタラクティヴ・アート 畠中実
ヴァーチュアル・リアリティ 畠中実
インディペンデント・メディアとしてのメディア・アート 畠中実
ハッキング 久保田晃弘
エンターテインメントとゲーム・アート 久保田晃弘+畠中実
インターフェイス 水野勝仁
イメージ・オブジェクト 水野勝仁
ライブ・コーディング 久保田晃弘
History メディア・アート年表
あとがき
関連文献
メディアアートとは、これまでの芸術をつくり上げてきた伝統的な方法によらない、テクノロジーを介した、いまだ芸術とはみなされていない、あらゆる例外的な表現を内在したものであり、これからの芸術表現の可能性を指し示すものの謂い
それは、同時代における社会状況を作品に反映し、時代とともに変化し、更新されていくもので、アーティストに限らず技術者や科学者らとの協働によって、それまでとは異なる素材、手法、概念による表現を新たに生み出し、表現の可能性を模索していくものだ
藤幡正樹
「最新のメディア技術を駆使した作品は, ときとして技術のデモと見分けがつかないものです. アトラクションは技術を見せないようにして, マジックを行ないますが, メディア・アートは, それが技術のデモではないことを表明するために, 技術を目に見えるものにする必要があります. つまり, メディア・アート分野では, 技術そのものが作品のテーマとならざるを得ないのです. 技術について考えることは近代以降の社会のあり方について触れることになるので, 近代とは何かという問題を相手に作品制作をしなくてはなりません. なので, 技術が最新ではなくなった時にやっと大衆はそれがデモではなかったことが判るようになるわけです.」
(OS10 アートとメディア・テクノロジーの展望ICC オープン・スペース10年の記録 2006-2015