阿部修也
https://gyazo.com/5d2c01189c95e87cf04e0627a1c4ca26
photo CC BY-SA kohmura masao
・阿部修也
1932年宮城県塩釜市生まれ.東北大学理学部物理学科,同大学工学部通信工学科を卒業後,東京放送TV技術部に入社する.1964年にナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)と出会い,《ロボット K-456》の制作を手伝う.その後も会社員としての仕事の合間を縫ってパイクの作品制作に関わり,1969年からパイク=アベ・ヴィデオ・シンセサイザーの1号機の制作を始める.翌年8月にボストン公共放送局(WGBH)でこれを使った映像を放送している.この年に東京放送を退社し,カリフォルニア芸術大学(California Institute of Arts)の講師になり,パイクのビデオ作品を数多く技術面からサポートする.1971年にはJDR 3rd Foundationを1年間受領し,1972年に帰国後,東洋現像所(IMAGICA)で勤務,技術部に在籍し,写真,映画,ビデオ関連エレクトロニクス部門の開発を主に行なう.そのほか,武蔵野美術大学講師などを経て,95年「第1回クワンジュ・ビエンナーレ」には,パイク・アベ・ビデオ・シンセサイザー3号機-WNET用を出展するなど,パイク作品の制作や展示には欠かせない役割を果たす.1984年に東京都美術館で開催されたナム・ジュン・パイクの個展では,「阿部修也に捧げる」という言葉が入り口に掲げられた. 出典
ICC | 阿部修也