「感覚の変換による観察」鈴木成紀
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つくった感想
時間は、あればあるだけ、続けられる。
時間が許せば、もっとじっくり形の把握とかを味わいたい。
左側:
描き初めは、デッサン的に身についた動きが出た。触覚的にだけど、あたりをつけて、描き始めた。
構図の意識がなかった。描き終わって、左右を見比べて、右のほうが絵が大きいのを省みると。
指の腹で探ったり、爪を立てて探ったりとか、形を把握するために手が色々と動くのを感じた。
自然と手が色々と探る感じ。
目視で表面に確認できない、ペットボトルの凹凸が把握できた。
指でなぞった動きを、紙に線で残していく感じ。
指の動きを空間で把握していると思っているのに、目視で確認すると全然プロポーション合ってないのが、局所的な触覚で空間を把握するのうまくいかないんだなという自覚ある。
自分の頭の中での理解の仕方とか、探っている感じは面白いけど、紙に表出させる時、触覚的・空間的に把握しているわりには、立体として表現するの難しかった。でも、表現の部分は、訓練すれば上手にはなりそう。
右側:
右と左で描き方が変わる
右は、慣れ親しんだ、デッサン的な手法が出てきちゃう。
パースがつく(視点がある)。
量と陰影で形を捉えたい。ラベルの表情が後から。
色とかをつける意識があった。
輪郭線とかあまりキリッと書かないでぼわぼわと、印象を探っている。
ペットボトルは、手元で持ちながら描写したけど、光の当て方を変化させながら、凹凸を確認していた。
あれ、これって、手に持ちながら描写していたら、触覚入っちゃうかな? ズルかった?
机の上とかにおいた方が良い?
両側を比較してどんなことに気が付けるかということがあると、両方線画で描写して欲しいとかある?
左右で表現が全然変わっちゃうの戸惑ったけど、人それぞれの捉え方が出て良いのかもと思いつつ、自分の慣れている描き方になった。
デッサンの技術がある程度身についてしまった人と、身についてない人での対処の仕方の違いがでるかも。