『意識の神秘を暴く』を読んだ感想
書名:意識の神秘を暴く
著者:トッド・E. ファインバーグ、ジョン・M. マラット
訳者:鈴木大地
出版社:勁草書房
◎全体的な感想
著者の論の運び方に引っかかる箇所はあっても、文章そのものに引っかかることはなかった。平易で過不足ない日本語に翻訳した訳者の功績だと思う。また、太字で記された重要語句については、巻末の用語集にまとめられていて、用語集を参照することで自分自身の知ったかぶりを逐次戒めながら読み進めることが出来た。
本書は神経生物学的自然主義(意識などの主観的な現象は自然科学の範疇にあるとし、意識などを自然科学で扱える事物の中でもとりわけユニークな生命現象に連なるものと捉える考え方(大意))に則り、脊椎動物の多くが備える原意識を研究対象として、序盤に挙げる「外受容意識」「内受容意識」「情感意識」が実験で確認されれば、その生物には原意識が備わっていると結論している。実験で検証可能な原意識を定義して、脊椎動物や節足動物、頭足類にも原意識が備わっていると検証する過程は実にスリリングで面白かった。
本書の序盤で大きなトピックとして、①原意識が様々な生物で確認できること、②主に人間が持つ主観的経験と物理的な脳の間にある説明のギャップを解消することの二つが挙げられているが、①は細かく検討されているのに、②は抽象的な大雑把な議論に終始していることが気になった。全体の感想は以上です。
以下に各章の記述で分かりづらいと思ったところやもっと知りたいと思ったことを挙げた。初歩的な勘違いが多々あると思われるが、今後の勉強で改善していきたい。
◎各章の疑問点・知りたいこと
○第2章
・外受容意識の遠距離感覚に触れた箇所で、ニューロンが階層状の部位局在地図として配置されていると記されているが、筋肉などの運動部分とニューロンがどのように連結されているのか詳しく知りたい。運動部分が主体的に脳に働きかけることはないのか。
・足で幸せを経験することはないと記されているが、例えば足湯に浸かっている時に穏やかな気持ちになるのは、足からの情報を得た脳が穏やかな気持ちを生み出しているからだ、と思われる。その時、足側は情感を伴わない情報を伝えているだけなのだろうか。
○第3章
・「地図で表された感覚イメージを生みだせるなら、どんな脳にも外受容的な原意識がある」と記されているが、この部分はトートロジーではないだろうか。外受容的な原意識を見付けるための実験に用いる指標が、地図で表された感覚イメージなのではないだろうか。
・本書では視覚の進化が意識の形成に大きく寄与したという立場(視覚先行説)を取っているためやむを得ないのかもしれないが、多くの生物にとって主要な感覚である嗅覚についての記述が少ないように思われる。
・ヤツメウナギが外界に対して柔軟に対応できる神経系を備えているかもしれないが、質的な感覚イメージを備えているかどうかは要検証なのではないだろうか。
○第4章
・ヤツメウナギに原意識が備わっていると判断した基準と比べると、情感意識の有無を判断するのに大域的オペラント条件づけを設定したのは厳しすぎると思われる。
・渇きニューロンや危険ニューロンがコードしている情報は、好き嫌いという情報よりもより原始的なものに思われる。
○第5章
・縦長の箱の中でハチが様々な模様に惑わされずに、学習済みの模様に辿り着けるかという実験から、ハチが相当複雑な学習を出来ることは理解できるが、その結果から原意識の存在を検証できるようなデザインの実験ではないと思われる。複雑な模様を記憶することと心的なイメージを形成できることの間には、もう少し説明が必要ではないだろうか。
○第6章
・意識は予測プロセスを可能にする、というのは、図6・5にあるような自分自身の体の入力と出力のフィードバックで生まれる予測誤差を外界にも適用しているということでしょうか。自分自身の体の予測はともかく、能動的な他人の体を予測する為には記憶が大きく関わってくると思うので、予測を行う時に脳がどのように作動しているのか詳しく知りたい。
○第7章
・意識を備えていれば、意識を備えていないシステムより柔軟に行動できます、とあるが、本書の考えでは外界の生存競争に柔軟に対応する過程で生まれたのが原意識なので、記述が循環している。原意識を備えているとされる脊椎動物や節足動物、頭足類以外の、柔軟に生存競争に適応してきた(あるいは適応していない)生物の例を挙げて欲しかった。
○第8章
・四つの説明のギャップについてまとめている箇所で、「参照性」と「統一性」についてはある程度理解できるが、「心的因果」については全く分からない。心的因果が、どんな生細胞でも行い得る動作に伴う特性なのだとすれば、原意識の有無をどのように判断するのか。四つのギャップの中で、心的因果についての説明があまりに少ないと思われる。
・四つの説明のギャップの最後「クオリア」について、クオリアに固有な主観性は、クオリアに固有な神経生物学と主観性に固有な特性の組み合わせにより説明できると記されているが、クオリアに固有な神経生物学については記述が少ない。その後、クオリアに固有な神経生物学的プロセスは、意識の一般的な生物学的特性と特殊な神経生物学的特性がもとになっていると記されているが、これは生物の構成的階層がシステム全体に新奇特性をもたらすこと(創発的性質)を意識しているのだろうか。クオリアのまとめは全体的に記述が足りず、不明瞭な飛躍になっていると思われる。
以上です。