文化の呪い
国の文化によって規定される行動様式から逃れづらいこと。
背景
VUCARDな時代、フルリモートやフルフレックスといった働き方をしない理由はないし、できるはずだが、なぜできないのか。またやらないのか
この解の一つが「文化レベルの制約」である
概要
ここでいう文化とは国レベルのものであり、異文化理解力を想定する
例: 日本においてフルリモートやフルフレックスといった働き方が普及しない
これは日本の文化が関係ベース(一緒に過ごすことで信頼関係をつくる)、包括的思考(周囲の誰が何してるかをうかがう)、またハイコンテキストで、ネガティブフィードバックも間接的だから
この文化のとおりに立ち回るなら、リアルで非言語情報を交わし合うことがメインになる
そしてリアルタイム性と非言語情報の豊富さは、リモートで担保できるものではない
そういう意味では出社回帰は自然な流れと言えます。いわば国民病ですsta.icon
文化の呪いに勝つには
1. 自身が陥っている行動特性やその背景となる文化を理解する
上記の例の場合、関係ベース、包括的思考、ハイコンテキスト、間接的なネガティブフィードバックといった現状の制約を理解する必要がありますsta.icon
2. 新しいものの採用や撤廃を考える際に、文化を理由にしない
リモートから出社回帰に倒してしまうのは、日本的な文化の呪いにかかっているからにすぎません。そうではなく、リモートに必要なあり方――たとえば「初対面でもローコンテキスト的にテキストで率直にやりとりする」あり方を受け入れることでしかリモートは実現できません。少なくとも日本的な文化への踏襲をある程度は捨てねばなりませんsta.icon
このように文化レベルのあり方を自覚し、必要に応じて変えたりつくったりすることをCX(Cultual Transformation)と呼びます
3. スラックを確保し、プライベートにおいてコンフォートゾーンを抜ける
社会人の大半は自身のやり方や考え方を(文化の呪い含めて)変えることができないが、これは単に閉鎖的な環境で労働に浸かっているから
カルトと似たようなものですsta.icon
この閉塞を打破するには余裕つまりはスラック(Slack)を確保した上で、自分の今のあり方とは異なる世界に触れる(ここではコンフォートゾーンを抜けると表現しました)必要がある。つまりプライベートでコンフォートゾーンを抜ける体験をする
あるいは立場の低い社会人であれば仕事でも同等の経験ができますが、ここにはジレンマがあります。様々な経験ができる社会人は通常成功者であり、立場が強く、(新しい知識やスキルを学ぶ程度は可能だが文化の呪いから逃れるような)コンフォートゾーン脱出を行う必要がないためできません。出社回帰を見れば明らかでしょう。出社回帰を命じる立場の経営者たちが閉塞的だからですsta.icon