(個別記事)サケ(世界大博物図鑑2 魚類)
#個別記事
Keywords:サケ
※世界大博物図鑑2 魚類個別記事
【要約:本州】
サケは中世以後に知られるようになり、価値を持ちはじめた
平安時代ごろはサケが現在よりも南に分布していた
村上藩(越後三面川下流)の青砥武平治という藩士がサケの回帰性に気付き、産卵場を確保するように説いた(彼が亡くなる1788年より前)
たくさん利益が出て1882年には村上鮭産育養場を設立、1953年まで続いた
この奨学金で教育を受けた人をサケの子
と呼んでいる
サケ人工孵化実現の功労者:関沢明清
オオスケ、コスケ、今のぼる の民話は越後や東北地方に伝わる
これマスノスケだと思ってたけど違うんですか?
マスノスケの方言がオオスケなのでまあマスノスケの話で良いのでは…
遠野でもっとも古い家柄とされる宮家は先祖がサケに乗ってやってきたとされる(遠野物語)
【要約:蝦夷】
サケはチェプ・アッテ・カムイ(魚を支配する神)やチェプ・ランケ・カムイ(魚をおろす神)の握る袋の中にいて、この神に不敬なふるまいをすると不漁にみまわれる
サケを粗末にしなければ島の上手(知床のほう)の海上に神様が魚の骨をばらまき、それがサケの姿になって川をのぼってくるとされていた
サケがとれないとアイヌは餓死した(1724石狩、1884十勝)
#本文メモ
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日本内地でも古くからサケは知られていた。宮中の行事食のほか、神饌、祭料、公家への禄などに使われたという。しかし本格的には中世以後になって知られるようになった。
宇治拾遺物語には、越後から馬20駄ほどのサケを京へ運ぶ途中、人相の悪い大童子(おおわらこ)(若者)に荷からサケ2匹をくすねられる話が載る。これは、中世にサケが一般に流通する商品として価値をもちはじめたことを示している。
江戸時代には、サケは東北の大河で捕れるものと一般に思われていた。しかし、平安時代までさかのぼると、延喜式によれば、サケの産地を丹波、丹後、若狭、越前、但馬、因幡、越後、信濃としている。(中略)サケが現在よりも南にまで分布していた事情を示す。