信・達・雅
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嚴復「天演論」「譯例言」
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天演論 - 维基百科,自由的百科全书
天演論/譯例言 - 维基文库,自由的图书馆
Chinese translation theory - Wikipedia#Yan Fu (1898)
信 (faithfulness)
正確である。原文の意味を正確に譯文に反映すること
達 (fluency。expressiveness)
傳はる。譯文が中國語として讀者にとって分かりやすいこと
雅 (elegance)
格調高い。譯文が中國語として格調高いものであること
「辭を修めて誠を立てる」(《易》曰:「修辭立誠。」) (「易」乾93 文言傳)
九三、君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎。
https://www.ekigaku-shinkou-kyoukai.jp/bungenden/#:~:text=徳なるなり。-,(乾為天三爻),-九三に曰く
子曰く、君子は德に進み業を修む。忠信は德に進む所以なり。辭を修め其の誠を立つるは、業に居る所以なり。至るを知りて之に至るは、與に幾を言う可きなり。終るを知りて之を終るは、與に義を存す可きなり。是の故に上位に居れども驕らず、下位に在れども憂えず。故に乾乾として其の時に因りて惕るれば、危うしと雖も咎なきなり。
「辭は達のみ」(子曰:「辭達而已。」)
辭達而已矣 (「論語」衞靈公 41)
子曰、「辭達而已矣。」
言葉
事實に達する
集解。義疏
「言葉は (事實に) 到達すればよい」
意味が通ずる
通ずればよい
集註
「言葉は (意味が) 通じさえすればよい」
下村湖人
https://www.aozora.gr.jp/cards/001097/files/43785_58836.html#:~:text=ぬがいい。」-,四〇(四一九),-先師がいわれ
「言葉というものは、十分に意志が通じさえすればそれでいい。」
宮崎市定
言葉や文章は意味がはっきり通ずれば、それが最上だ
吉川幸次郎
「辞」を、一般の言語、乃至は文章、の意味に理解し、意志を傳達できればそれでよろしい、と讀むのが普通の說である。元來音樂的である中國の文章が、往往にして持ち易い弊害の一つとして、過度の裝飾に流れるとき、それへの警吿として、しばしば引用されるのは、「論語」のこの條である。
吉田公平
「言葉は意味が通じさえすればよい」
宇野哲人
文辭は己の意志を達することができれば充分である。更に語句を繁多にし華美にするを要しないのである
土田健次郎
「言葉は意味が通じることだけでよい」
通じさせよ
加地伸行
文章を書くなら、達意であれ
齋藤孝
「文章は、意味が傳はるのがなにより大切だ」
穂積重遠
「言語文章は意味の通ずることが肝心じゃ」
金谷治
「ことばは (意味を) 傳へるのが第一だね」
外交辞令
貝塚茂樹。徂徠。銭大昕
「外交辞令は、意味が通じればよいのだ」
嚴復さんは「辭」を文辭・修辭の意でとってゐるから、雅と達を結ぶ文言としてこれを引いてゐる
「言葉に文彩がなければ遠くまで流布しない」(又曰:「言之無文,行之不遠。」)
「春秋左氏傳」襄公二十五年 9
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https://zh.wikisource.org/wiki/春秋左氏傳/襄公#傳_25:~:text=及鄭平.-,仲尼曰.,-志有之
9 冬、鄭ノ公孫夏、師ヲ帥テ陳ヲ伐ツ
仲尼曰。志有之。言以足志。文以足言。不言誰知其志。言之無文。行而不遠。晉爲伯鄭入陳。非文辭不爲功。愼辭也。
仲尼の評。古書にかうある。「言葉によって意圖が傳はり、文辭 (rhetoric) によって言葉が生きる」と。言葉に出さねば、意圖は相手にわからない。言葉に出しても文辞がなければ、相手に深く通じない。晋は覇者であり、鄭は (晋の承認なしに) 陳に攻め入ってゐる。文辭がなければ、成功しなかっただらう。文辭は大切なものだ。