裏輪呑み
https://gyazo.com/e3b7c99edc8018cd426608efeaade791
https://cdn.shopify.com/s/files/1/0514/7787/2789/files/img_microlight_03s_480x480.jpg?v=1644183271
夜にかるく走るためのハンドライトを新調したんだけどライト部分の反対側がマグネットになってて
こんなふうに使うことができることを知った(本来はハイエースとかの車中泊とかで車内で使うかんじなのかな?)
https://scrapbox.io/files/659cbc99bc7a890024483068.webp
これ信号待ちのときにそのへんのポールやらガードレールにくっつけて遊んでたら
裏輪呑みのことを思い出してこのライトがあるとマグネットがくっつくところだったら暗闇でも裏輪呑みいけそうと思った次第
このように4つの形式をなんとなく実施できる場所がないか街を眺めていると、イアン・ボーデンが「スケートボーディング、空間、都市ー身体と建築(新曜社)」でスケーターやパルクールなどが都市を地形的に読み替えて都市に介入する試みをしていると指摘したように、裏輪呑みもまた、都市に乱立するビルの植生図に「誰のものでもない空間」を書き加えていくことと言えるだろうか。あるいは、ブラッドリー・L・ギャレットの「「立ち入り禁止」をいく(青土社)」で都市探検家たちが『立ち入り禁止区域を、規制や保証のない完全自己責任の領域とと捉え、都市探検とは権力によって隠蔽された横たわる空間を民主化する活動だ』だと捉えていたように、裏輪呑みもまた、「誰のものでもない公共空間」に対して、「誰のものでもある公共空間」であることを示す活動として捉えられるかもしれない。
そのため裏輪呑みとは、権利的に認められたオープンテラスやベンチで飲食することや花見などでどんちゃん騒ぎをすることとは一線を画す。なぜならそこは政治的に参加を許された領域であり、主体的な利用と民主的な意義は見出せないからだ。
裏輪呑みにおける楽しみの一つに「誰のものでもない場所」を「誰のものでもある場所」に取り戻すことが挙げられるたろう。実際に前者では、私たちが招かざる(騒がしい)ものとしてその場を活用することから排除されてしまうこともあったし、後者では、どこからともなく現れた参加者(ただの酔っ払い)を迎え入れるようにも機能する。
私たちは裏輪呑みを通して、都市の幸を100均やコンビニなどからもぎ取り(購入し)、誰のものでもない、誰でも使える空間を見出し、都市に生活を染み出させることを楽しんだ。開発や計画といった権力から自分の居場所を見出す試みとして、裏輪呑みは非常に興味深い都市活用事例となるだろう。
公共空間で酒を飲む人間を見ることをよく思わないひとも多いし、海外だと犯罪になるので、うまくやれる場所と方法をことしいっぱい使って研究していきたい
パルクールとは、1990年代にパリ郊外に住まう若者たちの遊びから誕生した、都市の構造物を利用してアクロバティックに、そしてスムーズに移動する新しいアーバンスポーツである。
本書は、2000年代以降フランスのアクション映画を通じて世界に広がったパルクールが、スケートボードのように都市イメージと結びついて広告的、観光的な価値を有し、映像や雑誌、インターネットやSNSを通じて都市景観の一部として演出されている実態を実践者の豊富な言動からエスノグラフィの手法でスリリングに描く。
人々のライフスタイルに密着した新しいスポーツの空間、言説におけるさまざまな文化と政治の力学を読み解き、その創造性と未来を問う