book2 3/ORDER AS BECOMING
2巻の序盤は1巻と変わってプロセス激推しモードに入ってくるのだけれど、それならプロセスの話からしたらいいじゃん!!といつも思う。ただ、良いものを実感してから、そこに至る方法を知るという順番がやはり良いのだろうか、とも思ったり。
Why -> What -> How みたいな流れっぽいですよね。
ですね。ただ、Whyを明示的にわかりやすく説明するというよりは、By Exampleなところがアレグっぽいところで、良いところでもあり分かりづらいところでもあり...。その上で、個人的には最近はBy Exampleなメリットを見直しつつあるので、アレグ流が順当なのかなとも思ったりしています。
あー。自分は、次みたいなイメージでした。
Why : Timeless way
What : Book1
How : Book2
なるほど、そういう理解だったんですね!自分はイメージ少し違って
タイムレスはWhyなのだが実質細かくは言えていない
NOOに至ってWhyをブレークダウンして名前を付けて言おうとしているが、What(By Example)と共に述べている
How: Book2
生物の構造はそれを生み出し維持するプロセスと不可分であると理解されています
いきいきした構造を作り出して維持するためにはプロセスが重要だと
生物形態は成長プロセスの産物としてのみ理解できることを例示しつづけました。
分かるようで分からない。言いたいことは「この形なのは、今たまたまこうなっているだけで、全体のプロセスのスナップショットなだけだよ」みたいなことですかね?
そういうことかとおもいますー。
「Becoming」っていうプロセスを感じさせる動名詞なのが、パタンみをかんじるううう
世界の設計(その静的構造)に過度に関心を抱き、まだ世界を創造する生成プロセス(その動的構造)の設計に十分な関心を持っていません。
これを実感させるために第1巻があったのでは?と思えてきた。早く構造を作っていくためのプロセスを教えてくれ!ってなるのでw
そのとおりだと思うのですが焦らしすぎではとも思います!! 15の幾何学的特性を2周も回してようやくプロセスの話を聴ける権利を得られるという...
ほんと焦らしすぎ!!
ビルとバークレーの丘の話はどう読み取れば良いんだろうか?
自分自身がいきいきする日常の活動、プロセスがいきいきしたモノを生成することに繋がるよ。もちろん知識も大事だけど、知識よりも大事なものがあるんやで。的な?
私は、彼が追求しているプロセスにおけるこの喜びが、何かを生み出しているという知識よりも、ほぼより価値があるのではないかと尋ねます。
めっちゃいい話だ。。。
しかし、それは二つのことが一緒になったものです。新しく刈られた草の匂いを吸い込む毎日の喜びと、それに伴う深い知識が、彼がバークレーの丘の上に生きた構造を作り出すプロセスであることを示しています。
いきいきとする状態をつくるための2つの要素みたく抜き出しているのは、一般人にわかりやすくするためか?
おそらく、その特徴や美しさの9割は、製作者が辿ったプロセスによるものです。デザイン、私たちが現代的にデザインと考えるものは、その後に続くものです。それはまさに、全体的に重要なプロセスから生じた残りの部分です。デザインは確かに美しいです。しかし、その美しさは、それを作るために使用される技術やプロセスの中でのみ実現できます。
9割!!
そして一度この技術を使うと、デザイン自体はほとんど無意識のうちに、プロセスに従う結果として現れるのです。洗練されたデザインの美しさは、考えることなく、単にプロセスに従った結果として現れるのです。
やはりプロセスに従えば良いものが作れるという気づきが素敵だと思う。
プロセスを解き明かせてそれを...
価値は完全性そのものの展開の中に存在します。完全性が不自然に展開されると、価値は破壊されます。完全性が自然に展開されると、価値が創造されます。
それが生命の構造の起源です。
重要なまとめっぽい。
(2023.5.19ここから↓)
現象が適切な結果を得るために徐々に摩擦し合い、正しいことを実現するゆっくりとしたプロセスは、現代ではほとんど知られていません。
"the slow process of getting things right"
slowが必ずしも時間的なゆっくりさだけを指しているわけではないと思いつつ
その上で、現実的な時間の問題もあることはあるので、実際に適用するにあたっては、スピード感の課題・制作時間の拡張の課題について考えていく必要がありそう。
スクラムとデザイナー問題もこのあたり関係ありそう
Time to Marketなんだけど、自分たちが本当に解くべき課題とはなにか?っていうのは時間をかけてみつけて洗練させていこうっていう話なのかなーっておもいました。
課題設定・問いの設定により価値自体は上がっているハズなのだが、インクリメント自体が増えているワケでは無いので、原理主義的にシンプルに考えると進捗無しになってしまう。そのあたりの評価をどうするかというあたりも関わってきそうかなぁと思いました。
コ・クリエイションの課題とかも関係ありそう
スピード感とコストあたりの共感がうまく進まないと Battle が発生してしまうという...
存在する全体性の生命力を助ける中心がある一方、それに敵対する中心がある可能性を認識すると、与えられた全体性に高度に複雑な自己整合性の可能性があることを認識し始めます。全体性内のさまざまな中心は、異なる程度で互いに調和することができ、または異なる程度で互いに対立することができます。
敵対するセンターって1巻で出てきましたっけ?
ここはおそらく15の幾何学的特性でいう「対比」はつねに「対立」があり、その程度によって調和しているものが対比で、破壊的なものが対立であるみたいな文脈かなと思いました。
その完全性は、その歴史が既存の構造に配慮し、敬意を持って展開することを許す場合により価値が高まります。逆に、完全性の出現過程が既存の構造と対立する場合には、価値が低下します。
字面はわかるし、雰囲気はわかるんだが、具体的に言うとそれはなんなのか?っていうイメージはつきにくいな
三十三間堂とかヒスパノ・ムデハル様式のタイルにおける「人々の営みの痕跡」から生命力を感じるっていう流れはたしかにそのとおりだなー。ある種機械的なデザインというのはこういった「人々の営みの痕跡」っていうのがわかりにくいっていうのはあるんだろうなっていうのを1巻の内容を思い返しながら、思いました。
全然アレグ的な高度な話では無いのですが、シンプルに、「まぜるな危険」メソッドってありますよね!
めっちゃおもいますねw
最近数十年間で私たちが慣れ親しんできた「通常の」建築プロセスを考えてみましょう。
NOOから20年ほどたつので、その間に「通常」がどのように変わってきたというのも少しみてみても面白いかも
施工プロセスはあまりかわっていなさそう。。。最初の図面をひくまではかなり変わってきたと思いますが。(カタログの進歩がおおきい。体験型とか3Dシミュレーターとかバリエーションの複雑さとかスローライフやミニマリストなどのブームなど)
最終的には、これらの要素はほとんど避けられずに分離しており、感情的に冷たく、内容において厳しいものであり、人間の意味の起源を持ちません。
住民から真の意味を見出すために観察を続けることの重要性というのは一貫して主張されているように感じる
これを如何にうまく(時間とか、コストとか)おこなえるかというのがプロセスを回すにあたっては重要そう
部分に分けると考えるのが楽になる、ってのもありそうだなぁと思いました。全体をデザインできる人がかなりレアな人材なんじゃないかとも思ったり
この誤りは、20世紀に広く見られました。
21世紀に入って世の中がどれだけアレグの視点に追いついてきたのか、その21世紀時点での視点・課題に対して、アレグの視点の何が有効なのかというを改めて丁寧に整理できると良さそうかなと思いました。
「でもこれはすべてプロセスですよね。それは良いことではないのですか?」
想定質問がちゃんと書いてあったので読み進めやすいな。
機械論的な社会学の極端な20世紀の視点では、親切さでさえも特定の結果を達成する手段と見なされることがありました。交渉や社会契約の一部であり、何かを得るための目的があるとされた
21世紀だと、進化心理学に真っ向勝負じゃん。しびれるな。
でも、アレグザンダーがいっているのもおおむね進化論っぽいので、進化論を語る上で、なにを指向しているのかっていうのが違うんだろうな。アレグザンダーは「生命力」を基軸にしていて、進化論は「繁殖」を基軸にしている。なんとなく似ているんだけど、繁殖を基軸にすると美しさみたいなものが語られないって言うのはわかるわ。
真の親切さは、まったく異なるものであり、それ自体で価値があります。それは真のプロセスであり、目標を追求することによってではなく、一瞬一瞬の必要性に基づいて、他者の感情と幸福を思いやることによって導かれます
生態学にも真っ向勝負しているな。このへんは。生き物を研究しているのにここまで差が出るのは面白い。
中埜先生も先日「進化思考」に触れてましたね。それはそれであるのだが...というような話をしていた気がします。
中埜先生の話気になるのですが、どこかにログあったりしますかね。。?
↑に書いてる内容が気になるけど理解できていないのでもうちょっと教えていただきたいお気持ち
自分もあまり思い出せなくてどうしようってなってます(かわにし)
真のプロセス
「通常のプロセス」と「真のプロセス」いつもの分かりにくいやつキタ。「プロセス」が何を指しているのか、今後、注意深く読む必要がありそうなやつですね。
(次回ここのコメントから読む↓)
機械論的な視点
機械論批判が根底にあるのは1巻を読んでいるとよくわかりますね
「デザイン」という理念、企業の会議室で描かれた架空の未来の図面、開発者の未来の終着点を描いた洗練された水彩の展望図が、私たちが行わなければならないと考えることを支配しているからです
ここでデザイン批判がくるの、最高にアレグザンダーだなw
デザインという言葉の翻訳の意味するところも難しそうですね。この辺りの文章の文脈だと、設計vs建築(実装)という意味でDesignという言葉が使われていることも多いので。
終盤は結構自分が描いているスクラムの次みたいな話とかなり近くてわくわくするな。
気になる!
これまでのすべての中で、プロセスは本質的なものとしてではなく、機械的なものとしてのみ存在しています。私たちの建築の専門職では、まだプロセスそのものを、芽生えや開花、予測不可能で尽きることのない展開としてとらえる概念はありません。これにより未来が現在から成長し、その瞬間の善良さによって支配される方法で進化していくプロセスです。
このプロセスの視点が不可欠な理由は、現在の状況から未来がどのように成長し、進化していくかを支配する善良な瞬間を通じて、連続的な創造活動が行われる環境の実際の性質、問題、可能性と関連していないからです。そして、それらは社会的に後退したものであり、人々の関与を必然的に減少させるものです。
全体的に難しいなぁ
そして、それらは社会的に後退したものであり、人々の関与を必然的に減少させるものです。
ここはきょんさんとこの前話したLiving Managementの話とかなり近い気がして楽しかった。
なお、その前に書いてることは難しそうなのでゆっくり読みたい