第1章「生命」の現象 1/はじめに p.28
読んでいくとわかるのかな?
「「生きている有機体」と「死んだもの」が同一の枠組みの中に含まれることになるのです。」汎神論っぽい。あるいは付喪神とか
原生林的な自然だけでなく、手入れされた自然を扱っているのが面白い
全ての秩序の形態には一定量の生命が存在するんですって 生きてる生きていないじゃなくて秩序に生命って普通思いつかないだろうなぁ
八百万、とはちょっと違うか?命が宿る、的な
「自然を取り込み、自然界にあるとされるものと同様の「生命」を宿しています。
なんか分かる、ような。風景と一体化しているようなイメージかしら‥。
一方で環境破壊や醜悪かつ侵略的で「生命」を伴わないような人工物が存在するので、組み合わせる事で生命が失われる?
建物にも生命を創出しなければならない
人類の責務。
すべてのもの
全体
生きている有機体と死んだものが共存
勝手な自分の価値観だと前者が渋谷で後者が新宿だなぁって感じ
なんとなく8章をパラ見した記憶と繋がっている気分になっている
これは狭義の「有機体」と「死んだもの」が共存して一つの生命をかたちづくっている、ってことだと思ったんですがそうではない?
解釈は自分も↑の通りです!
すべてのものがそれぞれ単独であっても、それは「全体」でもあるとする考え、なるほどなるほど…(どういう意味だってばよ) 「人」は1人の「人」として単独でもあるけど、それを構成するもっと小さなもの(センター的な?)からなる全体ってこと?
感覚的に捉えるの難しい、というか感覚的に向き合うことが少ないんだろうなぁ
逆に直感的にはわかるけど、理論がわからないので「わかるけどわからん」になる
建築物と生命の共存することを建築家が考えないといけないと、今の建築物のほとんどがダメなんだろうか?
生命の定義は結局は明確にされてはいない
アレグザンダーの好きなものには生命があり、好きでないものには生命がない?
好みの問題?直感に共通性があるかってことですかね?
8割か9割が一緒だよね、って考えてるんだろ思いますが、本当にそうかは分かりません
いまのところ懐古厨にみえる
古いものに生命がありやすいって話かな?
科学的論考を臭わせつつも、四大元素といった神秘主義的ワーディングが入ってる
走っているチーターは生命の絶頂にある。腹を出して寝ているハムスターは生命の絶頂にあるのかないのか。盗んだバイクで走り出した尾崎豊は生命の絶頂にあるのかないのか。
不健康だと生命の絶頂にはないのか?ニーチェが盲目になり体もあまり動かなくなったあとに「人生で最も健康だ」と言った。
生命は度合いってことでは?
冒頭から主語がでかい
生態系それ自体に「生命」はないとしても、生物の「生命」と不可分な関係にあるとみなすことができる
生命の創出
1つ1つの部品が「生命」をもっている
今ある街、文化は長年こつこつと構築されたもの。
部分だけ、方法論で「こんな方法でやろう」と言うのとはちがう
たとえ実行可能でも、難解
整合性・一貫性。一体化。ひとつの生命の形を追い求めることになる。
「生命」ってワード抽象度がたかすぎる。
段階的にあげたい気がする
「アレクザンダーの思考の軌跡」に具体的・現実でアレクサンダーがどうやって実践したかちょっと載っている