『趣味の遺伝』
WikiPedia では「日露戦争の出征兵士を題材にした、厭戦的な小説である」と紹介されている。
簡単な紹介としてはそれで良いのだろう。確かに、戦争の非人間性と理不尽さは十分に描かれている。そして、漱石は、個々の人間にとって戦争は避けることが出来ない出来事であり、いざ戦争に巻き込まれてしまった時は自分の運の良さに頼るしか仕方が無いものだ、と考えていたように見える。その意味で、反戦的な小説だとは言えず、厭戦的というのが正しいだろう。
しかし、この小説が本当に厭戦的な小説(少なくともそれだけの小説)であるかと言うと、そうではない。
小説は、戦勝に沸き立つ民衆が新橋駅で凱旋兵士を万歳の歓呼で迎えるところから始まる。そこには『猫』における「大和魂」の詩のように、浮ついた熱狂に対する冷ややかな敬遠の気分が流れている。けれども、主人公(小説の語り手)は、列車から降り立った凱旋将軍の姿を見て、「胸の中(うち)に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫(ふたしずく)ばかり涙が落ちた」と語る。このあたりから、明らかに雰囲気が変っていく。
主人公は涙の理由を説明するために、「満洲の野(や)に起った咄喊(とっかん)」について語る。
「咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情(じょう)が籠っている。」
「死ぬか生きるか娑婆か地獄かと云う際どい針線(はりがね)の上に立って身震いをするとき自然と横膈膜の底から湧き上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。」
「万歳の助けてくれの殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境に入る。──余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。」
「将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。居は気を移すと云う孟子の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。」
つまり、この小説の語り手は、生きるか死ぬかの戦争を経験した人は崇高な誠を知っている、と言う。
また、意味を超越した咄喊は「一心不乱の至境」において発せられる、と言う。この「一心不乱」については、漱石は『幻影の盾』の冒頭において、次のように書いている。
「一心不乱と云う事 を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲たる背景の前に写し出そうと考えて、この趣向を得た。これを日本の物語に書き下さなかったのはこの趣向とわが国の風俗が調和すまいと思うたからである。」
従って、漱石は、戦争による一心不乱の至境において発露する人間の誠に対して深い関心を持っていたと言って良い。『趣味の遺伝』が単純な「厭戦的な小説」ではないという所以である。
余談になるが、稲田朋美が「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」と言ったという。稲田および稲田が帰依する生長の家の教えでは、国家および天皇に絶対の価値を置き、国家(天皇)の命に従って自分の命を捨てることが人間の幸福であるとされる。だから、国家または天皇に幻想を抱かない漱石と同列に論ずることは出来ない。けれども、一心不乱の至境に至らざるを得ない状況としての戦争の魅力は、実は、万人が薄々感じているところではないのか。それを表立って言ってのけた稲田を私は怖い人だと思う。舐めてはいけない。
戦闘の指揮官である将軍は、多くの将兵の咄喊の誠を聞いて無上絶大の玄境に入り、凱旋を果たす。しかし、数でしか評価されない歩兵はどうか。特に一定数以上の歩兵を捨て駒として死なさなければ勝利できない攻城戦において、弾に当って死ぬためにのみ突撃することを命じられる数多くの歩兵はどうか。
漱石は攻城戦における歩兵がいかに非人間的な存在として扱われるかをかなりの紙数を割いて克明に描写している。
多数の無名戦死者の救済はどこに求めれば良いのか。無名というが、そんなことはなくて、一人一人、名を持つ人間である。愛する家族とともに生活をもっていた人間である。彼らは虫けらのように死んで、それだけなのか。これが『趣味の遺伝』の主たるテーマとなる。
語り手は戦死した友人「浩さん」の墓参りをしたときに、墓参の先客らしい若く美しい女に遭遇する。浩さんからは、交際している女がいるとは聞いていなかった。浩さんの母親も知っていない。あの女はいったい誰なのか。手掛かりを求めて浩さんが遺した日記を読むと、本郷郵便局で逢って二三分顔を見ただけの女の夢を三度も見た、という記述がある。この僅かな手掛かりから、主人公(語り手)は謎の女の素性を究明することが出来るのか、また、謎の女と郵便局の女は同一人物なのか、、、云々というのがこの小説の趣向になり、そこに『趣味の遺伝』という題名も関係してくる。
ここでの「趣味」は hobby ではなく taste である。小さい白菊が好きだった人の子孫に小さい白菊を好む人が生まれたり、ある男に恋をした女の末裔である女はその男に似た男に恋をする、というような話である。
河田は、漱石は自然主義文学、特にゾラの文学を意識しており、その批評としてこの小説を書いたのでないか、と言う。
自然主義文学は私にはよく分らない。ゾラも読んだことがない。だから河田の論の当否は私には分らない。
ただ、河田がこの小説は小説を書くことについての小説、つまりメタ小説であり、実験小説だ、と言っているのは、その通りだろうと思う。
この小説の中で語り手が「諷語(ふうご)」という文章技法について長広舌を振るう所がある。
「世間には諷語(ふうご)と云うがある。諷語は皆表裏二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫の渾名に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜するのはますます人を愚にした待遇法で、他を称揚するのは熾(さかん)に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。」
そして、この諷語についての説明は、この小説の書かれ方の説明にもなっている。つまりこの小説は諷語の技法の一例として読むことが出来るという仕掛けになっている。
例えば、凱旋将軍の顔をもう一度見たい、けれども人波に堰かれて近付けない、その時に主人公(語り手)がどうするかと言うと、「高等学校時代で練習した高飛の術を応用して」その場でピヨーンと垂直高飛をして視界を開こうとする。滑稽にも程があるのだが、そういう場面が凱旋将軍の風貌に涙する場面と前後して描写されている。
また、謎の女の素性を探る過程を描写する後半部分でも、語り手は好奇心を抑えられずに探偵じみた下品な行為におよび、おのれの行為を説明するのに多弁を弄する軽薄さを示している。
このあたりは、自然主義文学への諷刺としても読むことが出来るのかも知れない。
ところで、無名戦死者の一人である浩さんは、果たして救済されたのか。時空を超えた不思議によって、謎の女との相思相愛によって救われたのか。『幻影の盾』の男女が幻影の盾の中、一瞬に宿る永遠の春に再会を果たしたように。
小説は次の文章で終る。
「余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕へ飛び込んだきり上って来ない。誰も浩さんを迎に出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人の睦まじき様を目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。」