『三四郎』- 乞食と迷子
三四郎と他の主要登場人物4人が菊人形展へと歩いて行く混雑した道で乞食と迷子に出会うシーンがある。
誰も乞食に金を投げない。誰も迷子の世話をしようとしない。
それで良いのか、ということが私には気にかかる。漱石が書いたから気にかかるのであって、漱石が書いていなければ気にかけることは出来なかった。漱石はそういう事が気にかかるのだ。気にかかった以上は、登場人物たちに何か行為なり発言なりさせなくてはならない。
行為としては「平気で行き過ぎた」。
発言としては「場所が悪い(都会で人が多すぎる)」、「いまに巡査が始末をつけるにきまっている」、「わたしにかぎったことはない」等々。
で、それで良いのか、という事については、漱石は何も言わない。ただ、登場人物が自由に動くにまかせて、様子を観察する。心理を説明することはほとんどしない。主人公以外は特にそうだが、主人公にしても、ふわふわした曖昧な心理のままに行為し発言するに任せて、それを描写する。