PICSYの評価行列は「評価」ではない
PICSYの評価行列は「評価」ではない
nishio
Q3: AさんがBさんに送金した場合、Aさんの評価が下がって、式4.6の正規化によって取引に関与してないCさんの貢献度が上昇するという理解で正しいか?
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単位行列からの最初の一歩だとそうだけど、一般には増えたり減ったりするんだな、図4.4
kensuzuki
PICSYでは、取引をするときに、世間一般でいう「評価」をするわけではありません。たとえば、デカルトが家庭教師をする際には、生徒はデカルトの家庭教師としての仕事に対して対価を払うわけであって、デカルトの研究の業績を評価するわけではないのです。「評価」という言葉があることによって、デカルトが家庭教師の先生としてお金を稼いだり、デカルトがパンを買ったりといった経済活動への想像力が軽視されます。デカルトであろうと誰であろうが、取引的な経済活動をする際に使われるのがPICSYです。 そういう意味でPICSYの評価行列は、「評価」ではないので、取引行列と解釈するといいでしょう。そして、その取引は株数でやりとりされる。貢献度は株価です。したがって、株価×株数が取引の価値になるとするとわかりやすいでしょう。名付けが悪かったかもしれませんが、評価行列の「評価」という言葉に引きずられると、PICSYの仕組みの理解を妨げることになります。 そういう意味では、評価経済論ともPICSYは関係ない。その人がもつ非経済的な価値を正しく評価しようというモチベーションはPICSYには実装されていません。なので、PICSYに非経済的な評価を取り込むことができないと意味がないという議論は、そもそもPICSYはそういう目的のためではないと答えることになります。 nishio
"評価行列"の"評価"は単なる変数名にすぎないので、名前の雰囲気に引きずられないで数式で定義されたシステムとその振る舞いを観察して理解することが大事というわけですね、理解
こばゆ
ではpxyの目的とは?
p.187-189には組織の仮想化と所有観の変化があげられていますが、貨幣の再設計という大仕事に対してそれだけでは割に合わないでしょう kensuzuki
非経済的評価は、貨幣に取り込まないほうがいいというのが、ぼくの考えです。たとえば、思いやりで隣近所になにかを贈与をする場合、それを貨幣を使っても必ずしもいいことにならない。隣に2つの家族がいた場合、互いの家事を手伝うことがあったとしても貨幣の取引は必ずしも必要ない。これを貨幣で取引するようになれば、よいわけでは必ずしもないですよね。でもGDPは後者のほうが上がってしまうのです。