人間に長期的価値はない
人間に長期的価値はない
長期的価値はワークにこそあり、同一のワークなら誰がやっても同じ価値生産ができます
そのうえで、長期的にどんなモノや知識、文化を残すべきかという選択はコミュニティの最も根本的な存在価値に対する問いかけになりますよね
PICSYはそういう「何に価値を感じるか」を起点としたコミュニティ形成を促進できるツールになり得ます
一方、コミュニティ同士の合意形成では、コミュニティを超えた共通価値に対する合意形成が必要になります。このレイヤでは、コミュニティの規模に応じた発言権を持つような合意形成システムが必要になります
コミュニティを個としたメタコミュニティでPICSYがうまくワークするのかはあんまり確証がありません
ふろど: もうちょっと噛み砕いて説明します。
例えばアインシュタインが発表した相対性理論や光量子仮説といった「仕事」には長期的価値があり、後世まで残すべき知識であることに異論はないと思います。
他方、アインシュタイン自身には長期的な価値はなく、彼に(人類にとっての)価値があるのは物理学者という仕事を続けている間に限られますね
つまり、人間そのものとその仕事は分けて考えなければならないのです
こばゆ: Heatさんの問いは「長期的価値をもつワークに対価が支払われないことがありえ、誰もやらなくなることで長期的価値が失われるのではないか」と再定義すべきですね
ふろど: 誰が価値判断しますか?
長期的価値を持つかどうかは高度に価値判断的で、だれも評価せず、後世まで残らなかったとしたならば、その仕事には長期的価値がないとされるべきです
SUIKA: 勉強になる( 'Θ' )
nuun: 勉強になる