物のイメージ/The Objects as Representation
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タイトル:物のイメージ/The Objects as Representation
作品形態:インスタレーション(立体造形)
作品内容:薔薇、ラーメン、バナナの白黒レプリカ
素材:軟質塩化ビニル樹脂(ソフビ)
キーワード:写真、指標性、再現、現前性、記号
<作品概要>
本作《物のイメージ/The Objects as Representation》は、デジタル画像加工技術や生成AIの普及により写真の 指標性への信頼が崩壊した現代において、写真メディア環境の変化が画像の見え方だけでなく、物理的な"モノ"の見え方さえも変容させたことを知覚させるインスタレーションである。
薔薇、ラーメン、バナナという日常的な対象を、白黒の色材を用いて実寸大で再現したレプリカによって構成される。これらのレプリカは、物理的に存在する立体物でありながら、あたかも白黒写真的な視覚効果を生み出す。
かつて「写真的に見えること」と「被写体の存在の確信」は密接に結びついていたが、現代のデジタル技術によって、その関係は断ち切られつつある。そのため、写真的でありながら紛れもなく存在するという違和感から、モノの生々しい存在感が立ち現れる。
制作指導:安藤食品サンプル製作所
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<理論的背景>
批評家ロラン・バルトは『明るい部屋』において、写真の本質を「それは=かつて=あった」という存在の確信に見出した。写真を見る者は、そこに写されたものが確実に存在したという確信を持つことができた。また、哲学者ケンダル・ウォルトンは、写真を見る行為は写真そのものを見ることではなく、被写体を直接見ているのだと述べ、絵画のような不透明なメディアと比較して、写真は「透明なメディア」であることを強調した。
しかし、これらの写真の特権的な性質は指標性(物理的・因果的関係によって成立する記号)によるものであり、デジタル画像処理技術や生成AIの普及により指標性への信頼が崩壊した現代において、かつての性質は変容したと言える。
さらに、美術史家ジョナサン・クレーリーは『観察者の系譜』において、19世紀にカメラ・オブスクラからステレオスコープやフェナキスティスコープといった新たな光学的な視覚装置への移行が、観察者の身体と知覚の根本的な再構成をもたらしたことを論じた。重要なのは、これらの視覚装置が画像を介した視覚体験を変えることで、画像を通さない物理的世界の知覚までも変容させた点である。同様に、現代の画像生成AIの大衆的な普及は、メディアを通した視覚様式を変化させることで、メディアを通さない物理的対象の見え方さえも変化させているのではないだろうか。
<なぜレプリカか>
本作においてレプリカは、単に模倣する「代用品」ではなく、現代の写真文化を演じ直すメタファー(隠喩)である。
レプリカは、それが指し示す対象に”似せて”作られる物であり、指標性によって成立する再現物ではない。(型取りの真正性を必要としない)同様に、現代の商業写真も、特定の目的に向かって恣意的に加工・生成され、指標性に基づかない。本作はこの共通項を利用し、レプリカを現代写真のメタファーとして機能させる。
しかし、レプリカは写真とは異なり、物理的に存在する物体である。この差異により、指標性を失った再現物でありながら、物体としての現前性という要素のみに焦点を当てることができる。通常の食品サンプルが不在の料理を「指示(denotation)」する透明な記号であるのに対し、本作は「白黒」「階調」といった「写真メディアの性質」を物理的に所有し、それを「例示(exemplification)」する記号として機能する。
<なぜ白黒か>
哲学者ヴィレム・フルッサーは『写真の哲学のために』において、白黒という事態は現実世界には存在しえず、それは光学的な「理念」であると述べたように、無彩色の視覚は常に何らかの概念として機能する。
この白黒という慣習的記号は、鑑賞者に「写真というメディアを介して対象を見ている」という再現世界への参加、すなわちケンダル・ウォルトンの提唱する「ごっこ遊び」を強力に促すものである。この再現世界のなかで、鑑賞者は対象が非実在的で平面的なものであると無意識に期待するが、眼前のレプリカはその期待を裏切り、物理的な質量を伴う立体物としてそこに現前する。
かつて写真の指標性への信頼があった時代には、写真的に見えるものの実在は自然であり、驚きは小さかった。しかし、指標性への信頼が崩壊した現代では、写真的な見た目から被写体の実在を推測することを半ば放棄している 。そのような視覚モデルの変容を経た現在だからこそ、写真的記号を纏いながらも紛れもなく物理的に実在するこの物体は、予測を越えた生々しい存在感放ち、現代における「物」の知覚様式を顕在化させる装置として機能する。
<制作過程>
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ナルト巻の制作🍥 麺とチャーシュー