茶禅一味
茶禅一味とは?中国の唐の時代の禅師・夾山(かつさん)和尚(805年‐881年)は、ある日、自分で点てた一碗のお茶を飲み終わると、今度はまた新たにお茶を点ててその侍者に与えようとした。侍者がその茶碗を受け取ろうとすると、夾山和尚は茶碗を引っ込めながら、『是れ何ぞ』という本質的な質問をしたが、侍者は質問の意図が分からずに答えることが出来なかった。これは茶禅一味の妙趣を尋ねようとした問いだったのである。 茶の湯(茶道)は禅宗を起源としているため、『茶の湯』と『禅』の本質は同一であるべきだとする考え方のことを『茶禅一味』と呼んでいる。茶禅一味は『茶禅一致』ともいうが、茶味と禅味が一体のものであることを悟ることであり、人間形成においては茶の湯と禅宗に差異はないということである。 茶の湯の大成者である千利休は、茶禅一味の悟りの境地について、『小座敷の茶の湯は第一仏法をもって修行得道することなり。水を運び薪を取り、湯を沸かし茶を点てて、仏に供へ人にも施し我も飲み、花を立て香を焚きて、みなみな仏祖の行ひの跡を学ぶなり』と述べている。 禅一味の茶道書に『禅茶録(ぜんちゃろく)』というものもあるが、千利休の高弟であった山上宗二(やまのうえそうじ,1544年‐1590年)の自筆の秘伝書『山上宗二記』には一期一会の記述と並んで『茶湯は禅宋なり』という言葉も残されている。
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