労働
最初は地平線に沈む太陽が見たかっただけなのに、バイクが必要になり、バイクを手に入れるためにお金が必要になり、お金を手に入れるために労働して、労働の過程でより効率の良い労働のためにお金を使い、労働の効率や心構えについて語り、バイクを手に入れることを忘れて、地平線のことを忘れて、地平線に沈む太陽を見ないままそのことを忘れて、自分の夢はバイクだったなどと前置きしつつ労働の効率や心構えについて語ってしまう。これは余剰の話です。 人類が皆、本質的な本物の男であれば、地平線に沈む太陽が見たいだけならば、バイクを奪って地平線まで走ればいいだけの話であるのに何故かそれをしない。コーヒーが飲みたいだけならば、隣家に押し入って奪って飲めばいいだけなのに、何故かそれをしない。そのようなことを忘れてビールを飲んで、自分の夢はビールだったなどと前置きしつつ、労働の効率や心構え、あとは愛とかについて語ってしまう。本当のことを思い出したい。愛について。えー。あー。「愛のないセックス」という言葉で脳がバグるひとは、愛という単語が一義だと思い込んでいるところに穴があるんじゃないですか。人類の本当の目的が愛だったならば、太陽を奪ってしまえばいいだけなのに、何故かそれをしない。