休学
”京都大学を休学します”
大学生という身分の価値に比べて、大学の教育内容はあまりに粗末であり、80%の授業は現代の教育制度にとって皮肉としての役割しか果たしていない。そのような授業の席についているだけで、無数の針に突き刺され身体に無数の穴を空けられるような苦痛が走る。優秀で教育熱心な先生方が言うには、この苦痛に耐えることが教育なのだろうが、残念なことに僕はそれだけの精神力を持って生まれなかった。 とはいえ、大学に入ったことには現時点でもかけがえなく大きな価値があったように思う。同世代の優秀な人間と遭遇する確率の高い環境で、十分な時間が無償で与えられることは素晴らしい。ちょうど特殊な人間が集まる公園で休日を過ごすようなイメージと似ている。
できることなら何年かけても卒業したいとは考えています。現在においても人々の判断力はあまりに貧弱なため、学歴は非常に便利だからです。
ただ現時点で卒業しようと思うとその過程であまりに大きな苦痛が伴い、心身に多大なリスクを負うことになるので、一年休学してじっくり心の様子を観察するかと思った次第です。