『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』
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直立二足歩行と大型の脳のほかに(そしておそらく突き詰めればその結果生じた)人間の特徴としてあげられるのは、比較的体毛が少ないこと、道具を使用すること、火を活用すること、言語・芸術・書字を発達させたことなどである。仮にこうした特徴のいずれかが土台となって人間の性が特異なものになったとしても、その関連はまったくはっきりしない。たとえば体毛が少なくなったからといって、なぜ楽しみのためにセックスをするようになったのか。あるいは火を使うようになったからといって、なぜ女性は閉経を迎えるようになったのか。どちらも説明がつかないのである。そうではなくて、私は逆の因果関係を指摘したいと思う。つまり直立二足歩行や大型の脳と並んで、閉経や娯楽のためのセックスが重要な要因となり、人間は火を使いはじめ、言語や芸術や書字を発展させたのではないか、と考えるのである。 動植物の構造は変化する。進化の背景に自然淘汰があると推論した。
㈠動植物の解剖学的な適応形質には変異があり、
㈡そのうちある適応形質をそなえた個体はその他の個体よりも長く生存し、多くの子孫を残すことができ、
㈢それゆえこれらの適応形質は世代が進むにつれて集団のなかに広まっていく
という意味。
カマキリの交尾
交尾後、あるいは交尾中にメスがオスを食べる。
共食いは自然淘汰に反している行為では?
→個体密度に低い地域で生きていると、繁殖相手に出会うこと自体が幸運。その後別の相手に出会う可能性も低い場合、オスにとっての最良の戦略は、幸運な出会いを利用して、メスにカロリーやタンパク質を与えて、子孫の繁栄に糧になる。交尾が終わって生きていても、別のメスに会うこともないため、生き続ける意味自体がなくなる。
繁殖戦略は生態学的要因とその種の解剖、生理、行動といった生物学的要因に応じて進化しており、この二つの要因は種によってさまざまだということだ。クモやカマキリに関して性的共食いが有利に働くのは、生息密度が低くて雌雄が出会う確率が低いという生態学的要因と、メスが一度にかなり大量の餌を消化でき、栄養状態がよければたくさんの卵を産めるという生物学的要因による。 したがって体内受精の場合、母親は卵子をつくって受精させるまでに要した投資に加え、そのあと胚にもさらに投資しなくてはならないわけだ。体内のカルシウムや栄養分を使って卵の殻や卵黄をつくったり、自分の栄養分を使って胚そのものを成長させたりするのである。また栄養分だけでなく、妊娠に要する時間も投資しなくてはならない。その結果、体内受精を行なう母親が(卵の孵化や出産までに)つぎこむ投資と父親の投資の差は、体外受精を行なう動物の母親が(未受精卵を放卵するまでに)つぎこむ投資と父親の投資の差よりかなり大きくなるのである。たとえば、人間の女性が妊娠九カ月までに費やす時間と労力は莫大なもので、それに引き換え彼女の夫や恋人が一ミリリットルの精子を放出する数分間に費やした投資などは哀れなほどちっぽけなものなのだ。
オス(父親)とメス(母親)、どちらが親を引き受けるか
どちらが胚に対して、より大きな投資をしたか
時間、カロリー
子育てを選択することによって、別の繁殖機会を失うか
自分が親であることに確信を持てるか
十九世紀のハイデラバッド(インド)のニザムという王子はとくに大きなハーレムをもっていた。ある人が宮殿を訪れたところ、八日間の滞在中にニザムの妻のうち四人が出産し、その翌週には九人が出産予定だったという。生涯に最も多くの子供を残したと記録されているのはモロッコ皇帝モーレイ・イスマイル(血飢王)で、七〇〇人の息子がいたと信じられている。記録にはないが、娘の数も同じくらいだっただろう。