いい歳こいた大人が、利益を度外視して、無邪気に、なにかに夢中になったり(合法的に)ガンギマリになったりしている姿を積極的に見せる
近い領域の別の話になるが、福祉的な文化助成みたいなもののあり方として、自分がするべきであると思っている営みはざっくり2つにまとめられる。一つ目は、いい歳こいた大人が、利益を度外視して、無邪気に、なにかに夢中になったり(合法的に)ガンギマリになったりしている姿を積極的に見せることである。2つ目は、ごくシンプルに、インフラを整えることである。
1つ目に関して、サラリーマン家庭で育った自分は、親(特に父)がハメを外したり、家の外で社会的に敬遠されるような行為、そこまで言わなくても比較的トンチキな行為をしているところをあまり見たことがない。変な髪型や服で着飾ってみたり、一般的に理解し難い趣味に傾倒したり、人前で奇行に走ったりとか、そういったことはあまりない。無意識に、大人になったらそんなことはすべきではない、みたいな規範意識が形成されている。そんな環境で育った人は多いであろう。 一方自分はというと、自作の曲を大衆の前で再生し、シンセのつまみを捻りながらアヘアヘしている。なぜそうしているかというと、そもそも自分がそういう人間であり、かつ、そういう大人がいることで安心する人間がいると信じているからである。いい歳こいてなにやってんだと思う人も多いだろうが、そんなことは思う必要はない。いい歳こいてなにやってんだマインドを世の中から取り除くことが、世の中を良くする。「大の大人がそんな感じで暮らしていてオッケーなんや」と人に思わせること自体が、世を文化的なものにするために必要であると確信しているから(無意識的に、あるいは意識的に)そうしている。人に迷惑をかけない範囲ではもちろんのこと、なんなら多少迷惑をかけあって、自他で迷惑をかけ合ってでもそうすべきだと思っている。
そういう大人がいることで安心する人間がいると信じている
後者はもっとシンプルで、文化活動をするためのインフラを公私の援助で充実させるべきという考えである。吹奏楽部に青春を燃やしたのに、高校を卒業したっきり楽器を演奏しなくなるのは、音楽に興味がなくなったというよりは、金管楽器を吹ける場所がないからだ。家から徒歩5分の距離に、なんらかの形でトランペットを吹きまくれる施設があればもっと皆トランペットを吹くようになるだろう。家の横に自由に使えるバスケットコートがあったらバスケ部に入る確率も幾分上がるというものである。