『弱いつながり 検索ワードを探す旅』
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検索ワードは、連想から生じてきます。脳の回路は変わりません。けれどもインプットが変われば、同じ回路でもアウトプットが変わる。連想のネットワークを広げるには、いろいろ考えるより、連想が起こる環境そのものを変えてしまうほうが早い。同じ人間でも、別の場所でグーグルに向かえば、違う言葉で検索する。
検索はときどき日本語以外でやったほうがいい。
観光客は無責任です。けれど、無責任だからこそできることがある。無責任を許容しないと拡がらない情報もある。「はじめに」で述べた弱い絆の話を思い出してください。無責任なひとの無責任な発言こそが、みなさんの将来を開くことがあるのです。
ずっと旅人でいるというのもたいへんです。それはそれで覚悟が要ります。バックパッカーになってインドを放浪するのは、若くないとできません。言い換えれば、それはサステナブルな生き方ではないのです。だからぼくは、旅人と村人のあいだを行き来するのが、いちばん自然だと考えます。観光とは、まさにその往復を意味する言葉です。 表層を撫でるだけでも、多くの本を読むよりも特別なものになる。
身体を一定時間非日常のなかに「拘束」すること。そして新しい欲望が芽生えるのをゆっくりと待つこと。これこそが旅の目的であり、別に目的地にある「情報」はなんでもいい。 「ツーリズム」(観光)の語源は、宗教における聖地巡礼(ツアー)ですが、そもそも巡礼者は目的地になにがあるのかすべて事前に知っている。にもかかわらず、時間をかけて目的地を廻るその道中で、じっくりものを考え、思考を深めることができる。観光=巡礼はその時間を確保するためにある。旅先で新しい情報に出会う必要はありません。出会うべきは新しい欲望なのです。 いまや情報そのものは稀少財ではない。世界中たいていの場所について、写真や記録映像でほとんどわかってしまう。にもかかわらず、旅をするのは、その「わかってしまった情報」に対して、あらためて感情でタグ付けをするためです。海外旅行なんて必要ない、グーグルストリートビューで写真を見れば十分じゃないかというひとは、このことを見落としています。 情報はいくらでも複製できるけど、時間は複製できない。欲望も複製できない。情報が無限にストック可能で、世界中どこからでもアクセスできるようになったいま、複製不可能なものは旅しかないのです。 歴史を残すには、モノを残すのがいちばん
行動データをもとにしたパーソナライズされた偶然ではなく。 そういった偶然に出会うために、旅に出る