『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
https://gyazo.com/37306e1bcf0c8c5b403ac19c0778e390
https://youtu.be/ENhmXU5zuYI?si=MAatDYeDXYDs9FX4
「生活できるお金は稼ぎたいし、文化的な生活を送りたい」
ベストセラー
三大ベストセラー
『出家とその弟子』
『地上』
『死線を越えて』
明治時代にエリートの間で広まった「修養」は、大正時代にはむしろ労働者階級の間にすでに根づいていた。 たとえば、大正時代の都市部工場労働者による労働者団体・友愛会。これは「修養」のための団体として結成された。修養という思想を用いて、「労働者は自己鍛錬を怠らないことで団結し、社会の一員として認められるようになろう」という旨を掲げていた。 さらに、農村においても「修養」を掲げる青年団が結成されていた。日露戦争後、地方改良運動――つまりは「財政が破綻している農村をなんとかせよ」とお触れが出たタイミングで、農村では青年団が組織された。ここでもやはり「自分たちで自己鍛錬し、農村を支えよう」というスローガンとして、「修養」の概念が用いられる。 都市部においても、農村部においても、労働者の青年たちには「修養」が求められた。それは社会不安のなかで自分を律し、そして個人として国家や社会を支えられるようになることが求められたからだった。 つまり大正時代になると「修養」は、はっきりと労働者の統制を取るため、そして労働者自身が自分の価値を上げるための、自己啓発の思想になっていった。 これが『現代日本文学全集』の内容見本に挙げられた、八つの特色だった。注目したいのが、「瀟洒な新式の装幀で書斎の一美観」つまり〝書斎〟に置く本として美しいインテリアであることを強調している点だ。 塩原亜紀は、2002年(平成14年)の論文「所蔵される書物―円本ブームと教養主義」で、昭和初期の中流階級の間で増えていた和洋折衷住宅において、洋式の「書斎」の部屋が誕生し、さらにその「書斎」は「応接間」の役割も兼ね備えていたことを指摘する。つまり家に客人が来たときに、書斎の本棚を見せるような設計になっていた。そして当時の本棚にぴったりだったのが、円本全集だったのだ。 給料日とともに「毎月いくら」という形で支払う円本のほうが、財布のひもが緩む。月給制と月額払いは相性がいい。それは現代においてもやはりほとんどのサブスクの支払いが月額であることを考えると、納得できるだろう。昭和の戦前にすでにその制度をつくっていたのは驚くが。 月給制と月額払いは相性がいい。
買った親世代は積読していた可能性高いが、本棚にある本を子供が読みふけって、子に読書習慣が身についた事例多々あるもよう。 もしかしたら、ずっと教養ブームなのかもしれない。