「グレタは自動車に乗るな」は正しいか
#環境 活動家グレタ・トゥンベリに対し、「環境活動家なのに、環境に悪い自動車を使っている」という批判をすることは正しいか。より一般には、あることを悪とする #政治 活動を行うものがそのことを行うことができるか。次の二通りの振る舞いが観察できる。
「理想的」振る舞い
あることをやめるよう法規制などを進めることを主張し、自らもそのことをしない。
例
ヴィーガン政治家が動物愛護を訴え、自らも動物製品を食したり消費したりしない。
政党助成金は、議席数に応じて #税金 から #政党 に支出される金。 #日本共産党 はこれの廃止を主張し、受け取ってもいない。
グレタさんは飛行機に乗ることは環境に悪いと主張し、本人も乗らない。
結果:自ら率先してやらないことで、ロールモデルとなり、世論に訴える。
「実践的」振る舞い
あることをやめるよう法規制などを進めることを主張するが、自らはそれをする。
例
na2hiroは #ふるさと納税 は廃止すべきであると主張するが、自らはそれを利用する。
日本共産党員は #社会主義 を理想とするが、 #資本主義 の申し子たる大企業の生産物を利用する。
グレタさんは環境活動家であるが、火力発電で得られた電気で動く電気自動車や電車に乗る。
結果:それで引き起こされる害に比べ効用が大きいと判断してそのことをする。制度を変更することを主張することで長期的には廃止を目指す。
考察
グレタさんの例でもわかるように、一人の人がある行動では理想的に、別の別の行動では実践的に振る舞うことがある。
ある行動が実践的であるからといって直ちに他人から批判されるには及ばない。それは程度の問題であり個々人で見解が異なるからだ。
例えばna2hiroは、日本共産党は政党助成金を受け取り、それを自らの政治的主張(政党助成金の廃止含む)を広めるために使うべきと考える。
→タイトルへの回答「それは程度問題であり矛盾の指摘にはなっていない。」