世界99
何だったんだこれは
グロテスクな世界でどこまでも淡々とグロテスクであり続ける主人公の存在が、何よりもそのグロテスクさを告発し続ける
告発なんてしていない?ただ「ある」だけ
コンビニ人間と同じ構図やワードが出てきたけど、それが極限まで押し広げられて、同じ力で世界が丸ごと「分裂」するような。
構成も見事だった。
被害者性から逃れるための道のりと、それによって生まれた加害者性を描く後半
「向き合わなさ」の徹底?
メタなのか、ベタなのか
お前がどれだけメタれた気になっても村田沙耶には敵わない
そのメタさはある種の記憶/経験に裏打ちされたベタさが生み出している?
世界に媚びること
自己の分裂から世界の分裂
それが「統合」する瞬間がある
読むこちら側をも精神的・身体的に否応なく「呼応」させる
最悪さ、嫌悪感を自分自身にそのまま向けさせられる
下巻の世界は本当に「世界99」なのか?
ノーだと思う だから音は再び現れた
だとしたら、「世界99」はどこにあった?
全てを曖昧に観察するピョコルンの世界?
あるいはこう問うべき?:「世界99」は本当にあったのか?
「空虚こそが本質」
空子に「痛み」はあったのか?
「石」として、分裂したそれぞれの自己/世界に置き去りにされていた?
昨日は読んでて体調悪くなって眠れなかった ゲボ吐きそうだった
そう思うことで自分も「この本に影響を受けることのできる正しい人間」として世界に媚びている
ここまで世界や自己に対する認識を極端に異化させる力を持った作品、どこにもないだろマジで
この本を男性はどう読むべきか、という問い
ある種の展開を期待してしまう自分がいた
恋愛や性愛、愛着にまつわる展開
ただ告発されるだけでなく、主人公が「こっち側」に来る瞬間があり、それに心地よさを感じる瞬間もあった
明人と空子と同じように…
主人公が本当に人間を捨てる話
コンビニ人間と共通する構図
「そもそも人間ではない」主人公が「正しい姿」を手に入れる話とも取れる
通底するテーマ
家事労働ケアの担い手としての「女性」への疑義
人種差別の様相
自身のコミュニティを維持するコミュニケーションの中で副次的に生まれる差別
コミットメントとしての差別
被害者性と加害者性の多層性
ポリティカル・コレクトネスやイデオロギーの相対性
アイデンティティの相対性
その中核にある虚無、中空
パターナリズムの困難と必要性
それら全てを捨て去った先にある「原型」としての「非人間/脱人間」