脊髄的な政治
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「みんな」とは「あなた」であり「わたし」です、が政治、特に国政政党の基本のはずが、「みんな」でなく働いて疲れている「あなた」を救います、が力を持っちゃったの、過程も理由も分かるが分断とポピュリズムの最初のステップゆえに禁じ手だったし、リベラルの人の反発を承知で書きますと、アイデンティティポリティクスによって「みんな」と働いている「わたし」に線が引かれる素地ができ、マジョリティというアイデンティティも立ち上がった、はあると思う。アイデンティティポリティクスの次に行かないとアイデンティティが分断の源になる
時間があまりないのでさくっと雑な前提として、日本では2000年代に先に日本会議などが「うつくしい伝統」という歴史修正主義によって「日本人」という概念でアイデンティティポリティクスを仕掛け、2ちゃんでも「うつくしい伝統」や「日本人」という幻が共有されていたわけで、マジョリティに「うつくしい日本人」というアイデンティティポリティクスを仕掛けていて、まともに浴びてたのが40代50代、は大きい意味があるんじゃないかな。
アイデンティティポリティクスが行き着く先に非アイデンティティ的な脊髄反射・性欲的なもののポリティクスがあって、参政党(というかさや)支持を突き動かしていたのってそういう力もあったのでは、と思う
アイデンティティ以前、ボディ・ポリティクス?
40-50代男性がああいう女性像好きそうだな、というのはちょっと思うし
40-50代男性が直面している失アイデンティティ的な状態とアイデンティティポリティクス的な戦略がマッチした時に民族主義やファシズムが生まれやすい、という二つの要素がある気がする
都議選の政見放送でもあったけど、ここまで来ると直接性欲に働きかけるような政党や候補者とかが出てきそうな気すらする
フロイト/ラカン的にいうなら性欲的でない「支持」なんてないのかもしれないが…
そういう脊髄反射的な快楽に基づく煽動が極めて力強いことは認めざるを得ない 問題はどうやってそれに対抗していくかということ
神経化学的政治というか
ベタに理性/知性で抗っていくのが王道だとは思うのだけど、この勢いに対してそれは遅すぎる
遅いのが大事ではあるんだけど、それは改革勢力ではなく保守本流がとるべき防衛戦のムーブである気もする。
石破が今まさにそれを体現しつつあるのが皮肉ではあるけど、実際助かる
若者/ミュージシャンとしては「もっと強くよい快楽がある!」というのも一つの対抗策か。
こっちも神経化学的なもので戦う、という。
アシッドが生み出す精神的な繋がりこそが国家や個人を超える「アイデンティティ」じゃないか…という
そういう意味では脱アイデンティティ的な状態を肯定することが必要なのかもしれない。やっぱりアイデンティティポリティクスはもはやワークしない。
アイデンティティを持たない共同体(ジョルジョ・アガンベン)
エゴ・デスだなやっぱり
「あなたは踊ることができる」はそういう解釈も可能
でもなんかそれな気がするな…弱者男性って色々理由づけしているけど彼らの動機の根幹は結局性的不満足なのであって、そのエネルギーをミソジニーや排外主義に変換しているに過ぎないのだから、そのエネルギーを別なものに変えうるということを示すのは一つの抵抗ではあると思う
弱点: 反知性主義に陥りやすい
その割にビジネス書や自己啓発ではストイシズムが流行ってるの謎だな
いや、ビジネス的な空間で強制されたストイシズムによって疲弊し、プライベートな空間でケアや不満足を他者に押し付けるってめっちゃありがちな構図。
そのビジネス的な側面がチームみらいであり、プライベートな側面が参政党である、という感じがする。
左派はストイックであるべきか?
アイデンティティポリティクス
ボディポリティクス