NPO法人アインシュタインプロジェクト
#日記 #2021年 #10月3日 2021年10月-3 21:27
私が2005年頃からボランティア参加し、愛知県内での児童のIT教育支援のためのプロジェクトを実施させてもらったNPOです。
もともと、東京の世田谷で始まったPCリユース団体を元にしており、法人格を内閣府で取得していたのですが、関東で事務局業務を担うメンバーがいなくなったので、2007年頃に愛知県へ認証を移しました。という経緯もあり、私も、愛知県での事務局運営を担うなど、積極的にプロジェクト運営に関わりました。
○やったこと
アインシュタインプロジェクトの活動に参加して、三重県の志摩地方や千葉の館山の小中学校に中古PCを寄贈し、地元ボランティアの人たちと一緒に寄贈パソコンを学校のネットワークにつなげたり、2007年頃に理事になってからは、世田谷・筑波・福井を訪問したり、とても楽しかったです。
また、プロジェクト・リーダーとして、
東海地方から全国の学校やNPO団体に数百台(?)のPCを寄贈しましたし、アフリカのITボランティアにもPCを送りました。
愛知の三河地方(安城、高浜)で児童向けのIT教室を何度か開き、充実したボランティア人生を楽しむことができました。
当時使っていた児童向けプログラミング環境で、私の子供たちも遊んでくれています。
オープンソースカンファレンス(OSC)京都(2008年?)で、オープンソースとプログラミング教育に関連した講座を開いて、squeakやアランケイプロジェクトの阿部さん、ドリトルの兼宗さん、そして、(ルート訪問記の)よしだともこさんを講師に招いて話を聴けたのも良い思い出です。
○参加して役立ったこと
理念やミッションと社会のニーズを照らし合わせて、事業を企画をし、市民の賛同を得ながらサービスを実施する、という企業・経営の初歩の初歩を学んだと思います。
ほとんどの業務を定型フローに落とし込むといったところは、自由気ままに生きてきて定型処理なんて退屈なことをやろうと思ったことのない私には新鮮だったので、あとで民間企業に入ったときにカルチャーショックを受けずに済みました。
また、この時期に、事務局業務を進めるために身に付けたNPO会計(複式簿記)や登記手続きの知識は、今でも仕事やプライベートでとても役に立っています。処理内容が分かっていると、人に頼む場合も、適切に下準備できるので、スムーズです。
○失敗したこと: NPO法人の経営
当時、アインシュタインプロジェクトは、関東と東海の二地域にまたがってプロジェクトを実施していましたが、事務局運営は想像以上に大変でした。「自由に創意工夫のできる市民を育てる」といった活動理念や(最上流の)ミッションの浸透は、結局、最後までうまくいきませんでした。NPO法人は、組織の活動理念に賛同する正会員を増やしながら理念に合致した成果を生み出すことが重要なので、理念の浸透がうまくいかないと、活動はジリ貧です。
アインシュタインプロジェクトでは、結構新規のプロジェクトを始めることが多く、プロジェクト実施の可否判断を理念やミッションにまで遡って検討することが多かったのですが、いくら活動理念への合致を要請しても、プロジェクトリーダー格のボランティアが企画をそこまで整えてくれることはなく、結局、経営陣が裏で企画立案・承認して、個々のプロジェクトの実施処理を定型の業務フローにまで落とし込んで、アインシュタインプロジェクトの活動としての体裁を整えないことには、活動してもらえなくなり、関東には、理念に賛同して活動を実施するリーダーがいなくなってしまいました。
民間企業には、活動理念や上位のミッションと照らし合わせながら新規のプロジェクトを企画するトレーニングを積む経験をする人が少ないことを、私自身が後に民間企業に就職して、知りました。そのようなことは、経営者のやることで、一介のサラリーマンがやることじゃないんですね。営利企業の経営者が社会実装など、社会の要請に応えるようなプロジェクトを始めようとしても、声高に叫ぶだけでは、課長(丁稚奉公)クラスの管理職以下の社員はほとんどついていけないと思います。きっちり社会の新しいニーズに応えて成果を出している企業経営者の手腕が如何に優れているか、分かります。
○法人格の解散へ
2008年までは、楽しく活動をしていたので、もっと時間を割いて取り組みたいと思ったこともありました。OSC京都で開催したようなオープンソースと教育に関わる講座運営はとても魅力的でした。その一方で、自分の生命科学の知識と趣味のコンピュータの知識を活かして、生命科学者のデータ解析を支援するような仕事をしたいとも考えていました。そして、2009年頃に、後者を選択し、解析ソフト作りの仕事に就く決断をしました。それがきっかけになって、転職後すぐに家庭も持ったことから、アインシュタインプロジェクトの活動に全く時間を割けなくなりました。
自分の想定以上に事態が急展開したために、その前後でアインシュタインプロジェクトについて私にできたことは、私が、いつか活動を再開できるように、気の許せる方に正会員になっていただく事、代表理事や、法人の印鑑やら何やら一切合切を信頼できる仲間に託す(押し付ける)ことだけでした。
その後、愛知県への事業報告や、登記事項の更新などといった事務局業務が滞り、愛知県からは何度も叱られました。その度に、私以外の理事が対応に動いて下さり、感謝するばかりです。あと、こんな杜撰な法人格運営は、NPO法作りに関わった人々の思いを踏みにじるような行為なので、大変申し訳なく思います。2010年以降のアインシュタインプロジェクトの運営に関わる問題は、私に責任があります。
そのような状況を続けるわけにはいかないと他の理事が動いてくれて、2021年に、クロージング処理を始めました。解散手続きに関して、私のできることはほとんどないのですが、会員構成を整えておいたので、10年以上放置されたNPO法人の清算手続きのための総会運営もクリーンに進められると思います。
とてもお世話になった法人を清算することに悔いはありません。理念に賛同し成果を生み出す人材が尽き、使命を終えたのだから、感謝しながら清算するのみです。
ですが、その清算処理の開始が遅れたために、振り返りや総括の機会を設けられなかったことはとても残念です。私が法人格を塩漬けにしている間に、貴重なノウハウや活動記録がインターネットサーバの契約停止とともに失われてしまいました。アインシュタインプロジェクトという団体を振り返るには、強力なリーダーシップで活動を支えたプロジェクトリーダーの方々に集まっていただいて、思い出を語ってもらうしかないのですが、それを実施する気力を私が取り戻せなかったことは、残念なことです。
今となっては、今後、二度と会うこともないかも知れないメンバーの方々に、アインシュタインプロジェクトでの日々がよき思い出として記憶されていることを祈るばかりです。
長くなりましたが、谷山浩子の「同じ月を見ている」(リンク先は歌詞)を聴いていて、なんだか、誰かに元気でいると伝えたい、誰かにそう伝えられたい気持ちになり、今日はアインシュタインプロジェクトについて少し振り返ってみました。
こんな駄文を書いてる時間をとれるようになってきた、ということは、何か新しいことを始めるのにちょうどよいタイミングかも知れません。