20221216労働経済論03
第5章 アドバースセレクション
この章で考える問題
情報が等しく共有されていないことが問題なのはなぜか?
隠された情報の問題を解決するための手段にはどのようなものが存在するか?
ありふれたサービスしか提供しないチェーン店が拡大する理由はなぜか?
偏見による差別が解消されないのはなぜか?
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アドバース・セレクションとは
情報の非対称性も大きな問題である。
隠された知識…財・サービスについての情報の偏りのこと。例として、新しくオープンした店の料理の味、中古パソコン、中古車の情報など
新しくオープンしたお店の料理の味→客側は知らないが、店側は知っている
中古品売買→購入者側は利用歴や事故歴などの情報を正確に知ることはできないが、売り手側は情報をもっている
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ここで、経営について考える。経営者自身は自分の経営能力の高さを分かっており、従業員も自らの長所短所を理解している。しかし、他人の能力を知ることは難しい。
つまり、経営能力や適性には情報の非対称性がある
※ただし、この情報は「行動」ついての情報ではなく、経営者や従業員の「資質」の情報である。
table:<隠された知識の例>
・情報を持たない主体(プリンシパル) ・情報を持つ主体(エージェント) ・隠された知識
投資家 起業家 ビジネスの収益性
株主 経営者 経営スキル
経営者 従業員 職務への適正
患者 医者 医療技術
保険会社 保険加入者 運転スキルや健康状態
政府 国民 公共財への評価
消費者 企業 製品の好み
企業 消費者 製品の評価
『プリンシパル(買い手)とエージェント(売り手)の間には、財・サービス・スキルの特性について情報の非対称性がある』
アドバースセレクション(逆淘汰)…隠された知識により取引が阻害され、場合によっては消滅してしまう問題。隠された知識によって、買い手は財やサービスに対して疑心暗鬼になり、売り手は買い手の信用がなくなれば商品の質に見合った支払いを受け取れなくなり、供給をあきらめてしまうように、隠された知識によって取引が阻害、消滅してしまう。
table:<アドバース・セレクションとモラル・ハザードの対比>
情報の非対称性の発生 情報の非対称性の中身 何が問題か
モラルハザード(隠された行動) 契約(取引)後 エージェントの行動 適切な行動を選ばせること
アドバースセレクション(隠された知識) 契約(取引)前 エージェントの特性 特性の識別
モラル・ハザードとアドバース・セレクションの最大の違いはどの段階で情報の非対称性が生じるか
つまり、モラルハザードは、情報の非対称性が事後的に発生し、契約を結ぶ段階では発生していないため、適切な行動を選ばせるインセンティブを与えることが問題だが、アドバース・セレクションは情報の非対称性は取引を行う段階で発生しているため、隠されている情報をいかに識別するかが問題である。
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隠された知識の下での取引
2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフは、隠された知識とアドバース・セレクションの問題を初めて提示した。
※ジョージ・アカロフの著書https://scrapbox.io/files/632d88f0538078002310376f.jpg
レモン市場のモデル
ここでは買い手はリスク中立的として扱う。
table:<品質に依存した中古車の価値>
優良中古車 欠陥中古車
買い手にとっての価値 100万円 40万円
売り手にとっての価値 80万円 20万円
中古車の品質は外観からは判断できない。
しかし、売り手は事故車かどうかなど品質を知っている。買い手は分からないため、1/2で欠陥車だという事しかわからない。
→中古車の品質は隠された知識である。
このとき中古車の品質は売り手の私的情報であるという。
私的情報…ある主体だけが知っている情報。
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隠された知識による優良車の消滅
買い手も品質がわかる場合
買い手にとっての価値>売り手にとっての価値が成立する
→双方が利益を得る取引が可能
品質が隠された知識の場合
優良車も欠陥車も同じ市場で取引されてしまう
→優良車の売り手も欠陥車の売り手も供給すると、買い手はリスク中立的であるため、中古車を平均的に評価する。最大で、
買い手の価値の期待値=$ \frac{1}{2}×40万円+\frac{1}{2}×100万円=70万円 までなら払ってもよいと考える。
しかし、この金額は優良車の売り手にとっての価値である80万を下回る
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(※この図では車の見た目が明らかに違いますが、見た目はほとんど同じということにしといてください)
→欠陥車のみが供給される
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(※この図では車の見た目が明らかに違いますが、見た目はほとんど同じということにしといてください)
優良車と欠陥車が混ざりあって供給されると、区別ができない買い手は平均的に評価する
経済でも高品質な財・サービスが低品質な財・サービスを駆逐すべきである(※)が、逆淘汰では逆のことが起きる。
アドバース・セレクションは経済に大きな損失をもたらしかねない。
※石田潤一郎、玉田康成,2020,p124
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一般化されたモデル
一般化したレモン市場のモデル
売り手が所有する中古車の品質を$ v とし、$ 0から1の間に分布させる
$ v の期待値は$ \frac{1}{2} となる。また、ある$ x を下回る$ v の期待値は、$ \frac{x}{2} となる
品質$ v の中古車を$ p という価格で取引した場合の売り手の利益を$ p 、買い手の効用を$ v-p とする
また、取引が成立しない場合、売り手は中古車を所持し続けるので$ βv を、買い手は$ 0 を得る
→$ 0.5<β<1 が成立する。これは、買い手は自動車をより必要とし、より高く評価する状況を示す
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品質が隠された知識ではない場合
双方が品質を観察することが可能な場合
→取引に支障は生じない
あらゆる$ v について、価格が$ v≧p≧βv を満たす限り、両者は取引に応じ効率的な取引が可能
反対に、売り手も書い手も品質を確認できない場合
→一方のみが知っているといった、隠された知識の情報の非対称性はない
取引は中古車の品質の期待値によって決まる
この場合、品質$ v の期待値は$ 0.5 なので
$ 0.5≧p≧0.5βを満たす価格$ pで取引が可能
※実際の品質では、事後的に価格が高すぎたり、低すぎたりすることはあるが、効率的な取引は可能であるため、問題の本質は大きく影響を受けない。
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品質が隠された知識である場合
売り手は品質を知っているが、買い手はその分布以外何も知らない
→隠された知識がある
数値例
$ β=0.8 とする
品質$ v の期待値は$ 0.5
平均的な売り手が受け入れる最低の価格は$ 0.8×0.5=0.4
買い手が価格$ p=0.4 を提示したとき、売り手が$ v を知らなければ、売り手はこの価格を受け入れるはず
売り手が$ v を知っている場合、受け入れるかどうかは私的情報に依存する
品質$ v の中古車の売り手がこの価格を受け入れれば、得られる便益は$ 0.4 だが、この価格を拒否して車を保有し続けると$ 0.8v を得る
この価格を受け入れるインセンティブがあるのは、
$ 0.4≧0.8v⇔0.5≧v を満たす売り手だけ
つまり、平均$ 0.5 より高い品質の中古車を持つ売り手には、この価格を受け入れるインセンティブがない
結果として、品質が$ 0.5 を下回る売り手のみが取引に応じる
品質の期待値は$ 0.25 →買い手が提示した価格$ p=0.4 を下回る
この買い手にとってこの価格は最適とはならない
買い手が提示した価格$ p を受け入れるのは、品質$ v が十分低く、
$ p≧βv⇔\frac{p}{β}≧v
を満たす売り手だけに限られる。
つまり、供給される中古車は品質が比較的低いものに限られ、供給された中古車の期待値はもはや0.5でないということである
この取引に売り手が合意するという事実は、売り手だけが知る中古車の品質が価格と比較して十分に低いこととなる。
以上より、価格$ p に合意するのは品質が$ \frac{p}{β} を下回る中古車の売り手のみで、品質の期待値は$ \frac{p}{2β}
そして、$ β>0.5ならばこの値は必ず$ pよりも小さくなる
この結果は$ 0 を上回るすべての$ p について成り立つので、売り手と買い手の双方が合意できる価格が存在せず、取引が消滅する。
隠された知識はアドバースセレクションを引き起こし、価値のある取引を消滅させかねない。
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社会におけるアドバースセレクション問題
中古車のような複雑な財の取引は困難である。
売り手→欠陥を知っている
買い手→専門知識がないため、欠陥を見抜けない
安い価格で売られている中古車の質は平均的に低い
これは、買い手を疑心暗鬼にするため、低価格という普通なら容易に合意にいたる取引を不成立にする。
アドバースセレクション下では、情報を持たない主体だけでなく、情報を持つ主体も取引の機会を逸することで損失を被る可能性がある。
買い手の便益>売り手の便益なので
品質$ v の値にかかわらず常に効率的
双方が納得できる方法を見つけることはできる?
この問題の核心にあるのは、品質$ v がより高いと主張することが、あらゆる品質の売り手にとって望ましいという事実
高品質車の売り手も低品質車の売り手も品質が高いことは主張するが、買い手は単純に識別する方法をもっていない。
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アドバースセレクションの代表例
保険市場
保険料、保険サービスは一定
→生命保険や医療保険に加入するインセンティブがより強いのは、健康状態に自信のない人が多い。
自動車保険
→運転に自信のない人、危険な運転をする傾向にある人が多い。
こうしたタイプの顧客が集まると、保険会社は保険料を上げざるを得ない
相対的に、良い属性を持つ顧客にとって保険に加入するメリットが減少する(市場からの離脱)
最悪の場合、市場自体が消滅する。
→「悪貨は良貨を駆逐する」アドバースセレクションのプロセス
シグナリング、スクリーニングはアドバースセレクションを緩和するアイデアである
(1)情報の生産
専門家による情報の生産は、アドバース・セレクション問題の直接的な対処法
保険市場での医師による健康診断書
アメリカの中古車市場で普及する専門メカニックによるチェック
工業製品や農業製品 JISやJASといった公的な規格
「食べログ」「ぐるなび」 飲食業界の隠された知識を一般的な消費者の声で集約
(2)信頼の構築
継続的な取引が見込まれる場合は評判が対処策となる
身内から購入 比較的安心
仲介業者 継続的にビジネスを行う業者は評判を守るインセンティブがある
ネット・オークション 評判に関心がある業者を介することで見ず知らずの個人間での取引を可能としている
(3)標準化
チェーン店 品質が標準化されており、自分の経験を利用できる
新車 製品が十分に標準化されている
標準化はアドバース・セレクションに対する供給側の1つの解決策であり、ファミレスやホテル、ショッピング・モールなどのサービス業から、建売住宅のような製造業まで幅広い業種でみられる
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隠された知識と標準化
レストラン捜索のモデル…チェーン店は標準化されている(自分や他人の経験や評価を利用できる)からこそ、アドバーズ・セレクションの問題が生じない。
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2つの異なる地域 $ i=1,2
その地域の固有のローカルレストラン$ i
チェーンレストラン$ C
2期間のモデルを想定し、消費者は1期目に地域1で、2期目に地域2でレストランを選ぶ。
ローカル店iの質を$ qiとすると、その質が高い場合$ qi=B>0、低い場合$ qi=0
チェーン店$ qc、その質が高い場合$ qc=b>0、低い場合$ qc=0
質が高い確率はそれぞれ共通で$ p=(0≤p≤1)
質はレストランの私的情報で、消費者がそのレストランを消費することで知ることが可能
このように消費をしなければその価値が分からない財を、経験財という。
消費者はレストランから質に等しい効用を得る
→質が高いローカル店からは$ B、質が高いチェーン店からは$ b、質が低いレストランからはゼロの効用を得る
$ B>bを想定し、ローカル店の方が平均的な質は高いとする
消費者・レストランともに2期間の効用、利益を最大化したい
1期目のチェーン店の質が高かった場合、2期目に質が不明なローカル店に行く必要がなくなる
1期目の経験を活かせて隠された知識の問題を解消できるチェーン店の特性は、消費者のレストラン探索のインセンティブに影響を与える
レストランの質が観察可能な場合
消費者は
$ qi=Bならば常にローカル店を選択する
$ qi=0かつ$ qc=bならばチェーン店を選択する
$ qi=qc=0ならばどちらも訪れない
チェーン店の期待利益
質の高いチェーン店の利益を$ V_H,低い場合を$ V_Lとする。
チェーンの質が高い場合
→ローカル店の質が低いと消費者が訪れる。
2期間の期待利益の合計は$ V_H=2(1-p)
チェーン店の質が低いと消費者は決して訪れないので、$ V_L=0
レストランの質が観察不可能な場合
時間を通じて各主体が直面するインセンティブを分析するときには、最後の期から考え、後の期で起きることを織り込みながら前の期に戻って最適行動を考察。
→バックワードインダクション(後ろからの推論)
チェーン店は標準化されているので、1期目にチェーン店を選んだ消費者はその情報を2期目のレストラン探しで利用可能
1期目にローカル店を訪れた場合、2期目に影響を与えない。
→2期目の段階で考慮すべきケースは3通り
1期目にチェーン店を訪れ、質が高かった。
1期目にチェーン店を訪れ、質が低かった。
1期目にローカル店を訪れた。
最初のケースでは、消費者はチェーン店の質が高いことは知っている。
このとき2期目にもチェーン店を選ぶ条件は$ b≥pB⇔b/B≥p
消費者が1期目にローカル店を選ぶと、2期目にもローカル店を選ぶことになる
→期待効用の和は$ 2PB
一方で、1期目にチェーンを選ぶと確率$ pで質が高い
→2期目にもチェーン店を訪れるかもしれない
確率$ 1-pでチェーン店の質は低い
→2期目はローカル店を選択する
質の高いチェーン店に2期目も訪れるとすると、1期目にチェーン店を選ぶ場合の消費者の期待効用の合計は$ 2pb+(1-p)pB≥2pB⇔$ \frac{b}{B}≥1+\frac{p}{2}が成り立つときに、消費者は1期目にチェーン店を選ぶ。
チェーンの質が高ければ2期目もチェーン → チェーンの期待利得は$ V_H=2
質が低いチェーンは1期目だけ訪れる→$ V_L=1
標準化のメリット
チェーン店のサービスが標準化されていないケース
ローカル店を訪れた場合の消費者の期待効用は$ pB
チェーン店を訪れた場合の期待効用は$ pb
$ B>bなので消費者は常にローカル店を訪れる。チェーンが標準化を行わない限りは、隠された知識による非対称情報(事前の評判の低い)はチェーン店に対して不利に作用する。一方で標準化すると確実に正の利益が得られるため、標準化の利益が存在することがわかる。
このモデルにおける標準化のメリットは2つ
①標準化は隠された知識の問題を解消でき、2期目の顧客の囲い込みを可能にする。ローカル店の方が平均的に質が高いと分かっていても、質の高いレストランを見つけることは相応の費用がかかる。
満足できるチェーン店が存在→新しい店を探すインセンティブは弱まる
②1期目の消費者の情報獲得インセンティブも重要。標準化された財・サービスは他の場面でも活用可能。チェーン店を訪れることは消費者にとって投資の意味もある。お気に入りのローカル店をやっと見つけても他の地域では使えないが、チェーン店は他の地域でも利用することができるため。
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ーーーtomita.iconーーー