情報とインセンティブの経済学第6章pp.149--165【安藤】
1 シグナリングとは
シグナリングによる情報伝達
財・サービスの売り手と買い手の関係を考える
財・サービスには高品質$ Hと低品質$ Lがある
区別できるなら、消費者はそれぞれに対して適正な価格を支払う
区別できないなら、平均的な価格しか支払わない
高品質な財・サービスを提供している企業は割が合わない
https://gyazo.com/914502c0a96985b54b15c42aaa1cd956
高品質な財・サービスの売り手は、品質についての情報を相手に伝えたい
ゲームソフトの会社:CMで宣伝する
就職活動の学生:有名な大学に入る
情報を伝えるためには、口で言うだけでは不十分。誰にでもできてしまうから
https://gyazo.com/cb012dd2be173728d8097dc27139697b
情報伝達において信用されるためには、他のタイプが容易にまねができないことを実行する必要がある。
かける時間や費用などの「実行の費用」がカギとなる。
大規模な広告キャンペーンや、学歴など観察可能なシグナルの背後には費用がある
費用を支払うことができるのは、自信がある人たちだけ
こうした費用を伴うシグナルを通じた情報伝達の試みをシグナリングと呼ぶ。
就職市場のモデル
新卒の就職市場において最も重要な情報の1つが学歴
偏差値の高い有名大学の学生は有利
多くの国で学歴が重要視されることには理由があるはず
学歴を採用側が着目し続ける理由の1つがシグナリング
シグナリングとして学歴が機能する状況を考える
労働者は生産性が高い($ Hタイプ)か低いか($ Lタイプ)のどちらか
労働者は自分のタイプを知っているが、企業側は観察できない
採用側は、学生をその能力の平均として評価するしかない
$ Hタイプにとってその評価は不当に低いので、その企業には就職しない
結果的に、この企業で採用されるのは生産性が低い$ Lタイプの労働者のみとなる(=アドバースセレクション(逆淘汰)が発生している)。
生産性は分からないが、企業は学歴を観察できるとしたら?
企業は労働者の生産性($ Hか$ Lか)は観察できないが、学歴はわかるとする
学歴を得るための費用を$ Hタイプなら$ d_H、$ Lタイプなら$ d_Lとする
$ d_H<d_Lを想定する(能力が高い方が学歴を得る費用が安い)
学歴を得ない場合の費用はゼロとする
企業は学歴を観察することで労働者のタイプを推測できる
学歴がある労働者は$ Hタイプで、ない労働者は$ Lタイプだと評価することを予想したとする
学歴があれば$ w_H、なければ$ w_Lの報酬を支払う
このとき当然に$ w_H>w_Lになっているはず
ここで労働者が、$ Hタイプの人は学歴を取得し、$ Lタイプなら学歴を得ないなら、
企業の予想は正しい
労働者の学歴取得行動と企業の信念は整合的
学歴は企業に労働者の対ぴを正確に伝えるシグナルとなる
労働者がリスク中立的で「効用=報酬-教育費用」だとする
労働者としては学歴を得ることで高い報酬を目指すか、学歴を得ないで低い報酬を許容するかが問題となる
ここで、それぞれのタイプの労働者が持つインセンティブについて確認する
https://gyazo.com/9934b135cbe8710f9b511e6bcaba1b57
$ Hタイプの労働者が学歴を得るインセンティブを持つ条件は、$ w_H-d_H≥w_L
$ Lタイプの労働者が学歴を得るインセンティブを持たないための条件は、$ w_L≥w_H-d_L
まとめると、$ d_L≥w_H-w_L≥d_Hという関係が成立すれば、$ Hタイプには学歴があり、$ Lタイプには学歴がないという状態が実現し、学歴を通じた労働者の評価は正しいものとなる
報酬の差額$ w_H-w_Lがあるので、できれば皆が学歴を欲しいが、$ Hタイプにとっては賃金の差が学歴の費用より大きく、また$ Lタイプにとっては学歴の費用$ d_Lよりも小さい →$ Hタイプしか学歴取得が割りに合わない
学歴は隠された知識を伝えるシグナルとなり、企業は学歴で労働者のタイプを正しく推論できる
それでは高卒と大卒の違いがシグナルなのか、それとも大学院卒なのか?
以下では詳細なモデルを考えたい
シグナルとしての学歴
労働者のタイプは私的情報とする(=本人しか知らない)
$ Hタイプの割合を$ p($ Lタイプの割合は$ 1-p)とする(ただし$ 0<p<1)
生産性の水準を$ Hタイプは$ a_H、$ Lタイプは$ a_Lであり、$ a_H>a_Lを想定する
労働者の生産性の期待値$ \bar{a}は、$ \bar{a}=pa_H+(1-p)a_Lとなる
このとき$ a_H>\bar{a}>a_Lとなっているので、平均的な評価は$ Hタイプにとって不当に低く、アドバースセレクションの原因となる。
https://gyazo.com/a33b8087a073d64fb27305a1c0afe3c1
先ほどのような学歴を得るか得ないかの2択ではなく、学歴$ eを連続的に選べる状況を考える($ e\geq 0)
学歴$ eを得ることの費用は労働者の生産性によって違い、$ d_{i}=\frac{e}{a_{i}}とする(ただし$ i=H, L)
生産性が高い$ Hタイプの方が、学歴を得るための費用が低い
https://gyazo.com/7966f948bc47667c2665837a8e3162b2
企業の行動
企業は学歴を観察して労働者を採用する
労働者が実現する収益は生産性($ a_{H}または$ a_{L})に等しい
生産性$ a_iの労働者を採用し、報酬$ wを支払う企業の利益は、$ a_i-w
そして労働市場が競争的であり、企業の利益がゼロになるまで高い賃金を提示することを仮定
労働者の生産性が$ a_{i}だと確信していれば賃金として$ w=a_{i}を支払う
労働者の生産性がわからなければ、事前の信念に基づいて$ w=\bar{a}を提示する
労働者の効用は、報酬から学歴の費用を引いたもの
$ w-\frac{e}{a_i}
https://gyazo.com/5b7c906fae313cbee51edf755ceb9457
企業も労働者もリスク中立的と仮定している
時間構造
第0期:労働者のタイプが実現する。
第1期:労働者は自分のタイプを観察したうえで学歴の水準を決定する。
第2期:企業は学歴を観察したうえで報酬を決定する。
いま考えてる状況で特徴的なことは次の2点である。
1 学歴を得るための限界費用は生産性が高いほど小さい。
2 学歴は生産性に影響を与えない。
企業は労働者のタイプを直接には観察できないが学歴を観察できるので、その情報を利用して事後の信念(タイプHの確率)を形成することができる。
以下では完全ベイズ均衡を考える
企業が形成する信念を予想して、労働者は学歴を選ぶ
労働者が選んだ学歴を見た上で、企業は事後的な信念を形成する(ただしベイズルールに従う)
企業の信念と労働者の予想は一致している
このことを説明するために便利なので、学歴水準$ eを観察した後に企業が労働者を$ Hタイプだと考える確率を$ \hat{p}(e)とする。このとき労働者に支払われる賃金は、生産性の予想と一致するので
$ w(e)=\hat{p}(e)a_{H}+(1-\hat{p}(e))a_{L}
になる。
以下で見るような分離均衡($ Hか$ Lかの区別がつく)では、
$ e_{H}を見たときの企業側の信念は$ \hat{p}(e_{H})=1となり、
$ e_{L} を見たときの信念は$ \hat{p}(e_{L})=0になる
よって生産性の予想は
https://gyazo.com/008ecd300d56e2ce6a26f29fa1e5b1d9
これに対して誰もが同じ$ eを選ぶことから区別がつかない一括均衡の場合、
https://gyazo.com/2e47f8ded91f4e36212e7bdc74a5f977
分離均衡
シグナリングにおいて、異なるタイプが異なる水準のシグナルを選び、シグナルを通じて情報が伝わるような均衡を分離均衡と呼ぶ。
分離均衡は本当はたくさんあるが、均衡で選ばれる学歴水準が$ Hタイプが$ e=e_Hで$ Lタイプが$ e=0の均衡を考える。
このとき学歴を見た後には(=事後的には)労働者の能力がわかるので、企業が持つ事後の信念は$ p(e_H)=1と$ p(0)=0が成立する。
それ以外の学歴が選ばれたケースも含めると、
https://gyazo.com/8ca6757c32f9df843d5f8e54c97a8813
労働者の報酬は生産性に等しいので、第2期で企業が選ぶ報酬は下記のようになる。
https://gyazo.com/b4f6267196c8b54743935120bee23b00
分離均衡が成立するための条件を考える
タイプH が$ e=e_Hを、タイプLが$ e=0を自発的に選ぶなら、分離均衡が完成する。
https://gyazo.com/d7a1d8bd2929cc032aafee457bdb7ac1
これをまとめると以下のようになる。
https://gyazo.com/34d7059b856ba4cfc14c8f8b0e349d94
この条件からわかるのは、$ e_Hの水準は高すぎても低すぎてもダメということ。
https://gyazo.com/d0df7782d470a9d2ff99aa88be606f21
均衡として実現可能なのは、$ e_{H}が$ e_{min}以上$ e_{max}以下であるときに限られる。
このように多くの均衡がある中で、最小費用分離均衡は、シグナルに必要な費用が最小化されている。
https://gyazo.com/7fbede4e38846d2f1079845dd528b828
一括均衡
2つの異なるタイプが同じ学歴水準を選ぶ場合は、企業は労働者の生産性に関する有益な情報を得られない。このようにタイプにかかわらず同一水準の学歴が選ばれる均衡は一括均衡と呼ばれる。
一括均衡の存在を示すには、それぞれのタイプに$ e=e_p以外の学歴を選ぶインセンティブがないことを確認すれば良い
$ e=e_P以外の学歴では$ e=0が選ばれる。その理由としては学歴の費用が最も低いから
皆が同じ学歴水準$ e_{p}を選んだときの事後的な信念は、
https://gyazo.com/db8d595e031745f2a50b6c84fbe92c5f
である。つまり、事前の確率から変わらない。
ここで一括均衡が成立する条件を考えよう。均衡から外れた行動の中で最も費用が安い行動($ e=0)をとる場合よりも、利益が大きければ良い。
https://gyazo.com/0ebb1c6ef103abeee36b7098eaa4b7a6
https://gyazo.com/2a54d445f45bd9f184bb4671976c495b
$ Lタイプが条件を満たしていれば、当然$ Hタイプも条件を満たすので、$ Lタイプの条件だけを見れば良い。
https://gyazo.com/051cacf6dfb91319d5e4dba0141b107c
一括均衡が成立する$ eの上限を$ e_p^{max}と書くと、上の図のようになる。
均衡の精緻化 ----直感的基準
就職活動のシグナリングモデルには無数の均衡が存在する。
しかし当事者たちのインセンティブを考えると、その中でももっともらしい均衡が一部に限定される。
分離均衡の中で直感的基準を満たすのは、費用最小分離均衡のみ(それ以外は無駄がある)
一括均衡は、$ Hタイプが正の学歴を得ることで自分のタイプを伝えられることから直感的基準を満たさない
よって直感的基準を満たすのは、費用最小分離均衡のみ
https://gyazo.com/81ebdcb35d406c1c77eae5f16963c5a0
追加での検討事項
能力が$ Hと$ Lの二段階ではなく、もっとたくさんあったらどうなるか?
能力に合わせて、中卒、高卒、大学卒、大学院卒などが発生する
時代の変化によって学歴を得ることの費用が変わり、例えば$ d_{H}=\frac{e}{a_{H}}や$ d_{L}=\frac{e}{a_{L}}の形状が変わったら、大学ではなく大学院に進学することがシグナルとして機能するようになるのか?
アメリカでは大手企業で管理職になるためにMBAが必要なように、学歴のインフレが起こる可能性がある
場合によっては、学歴不問が増えることも考えられる