天狗
天狗(てんぐ)は、日本の伝承に登場する神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物。一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされ、外法様ともいう。
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Wikipedia 「天狗」2023/06/17 14:30
『天狗はどこから来たか』杉原たく哉, 2007, 大修館書店
第一章・天狗は空から降ってくる
空から降ってくる
音を発する
災厄をもたらす
中国での「天狗」(天の犬)は四つ足の悪獣として信じられている
日食・月食を起こす
子供を病気にする、妊娠・出産を邪魔する→子供の生育を邪魔する
天狗を駆逐する神「張仙(ちょうせん)」
弾弓(パチンコのように弾を飛ばす弓)で天狗を追い払う年画が、安産と子供の生育(世継ぎである男の子が生まれること)を願って飾られる
天狗は翼のある黒い犬の姿をしている
張仙の由来
・張遠霄(ちょうえんそう)説:おそらく架空の人物
目に瞳が2つある四目の老人(仙人)に、悪病や災厄をはじく竹弓1本と鉄弾3つをさずかった
→四目は「方相氏」の特徴
・孟昶(もうちょう):十国後蜀の第2代(最後)の皇帝
上記の張遠霄の話を元に、孟昶を張仙として祀った
「張」という姓自体が「弓を引きしぼる」意味を持っているので、魔除けの呪術具である弓自体の神格化が張仙であると推測される
「弾弓」の「弾(dan, tan)」の音が「誕生」の「誕(dan)」と同音なので、「弾弓」にも「後継ぎの誕生」の意味が込められている
よって張仙は、対天狗の駆除神として、道教内で創作された可能性が高い
第二章・初期天狗の誕生
飛鳥時代
飛鳥時代(637) 大化の改新の直前
『日本書紀』の記述
春二月、戊寅の費(二十三日)、大きな星が東から西に流れた。音がして、それは雷に似ていた。人々は「流星の音だ」とか、「地雷だ」などといった。このとき僧旻(みん)は言った。
「流星ではない。これは天狗である。その吠える音が雷に似ているだけだ」
(p.34から孫引きで引用)
地雷:地鳴り、地中の雷を指す。神の怒り(神鳴り)
旻(みん):中国系帰化人ルーツの僧侶。第二回遣隋使に参加(留学期間 608〜632年)。政治制度や仏教だけでなく、古代中国思想(儒教的世界観・未来予測のための技術)の習得につとめた。帰国後は政権のブレーンとして働く。
儒教思想:北極星にいる「天帝」が、地上の「天子(皇帝)」を見張る
天変地異や天体の異常は天帝からのメッセージであり、天文学は政治学のひとつだった
中国では、天体として「流星」かつ天文占いでは「妖怪の天狗」という解釈を取っていた(流星=天狗)、
僧旻は「流星ではない」と断定してしまった。(留学中の誤訳? と推測される)
このため、日本の「天狗」は流星ではなくなった。
その後11世紀ごろまで日本の文献に天狗は現れない(鎌倉時代初期の資料にわずかに現れる)
平安時代後期
10世紀末の成立『宇津保物語』で、天狗が「山中に響く怪音を発する妖怪」として扱われている
11世紀前半の成立『源氏物語』にも記載あり。狐と天狗が同類として扱われている。人を連れ去る妖怪(神隠し)
日本書紀の「天狗」にはアマツキツネという和訓が振られている(ただし犬=狐ではない)
ただし日本書紀の和訓は平安時代中期以降(日本書紀が書かれた当時は和訓読みされていなかった)ので、天狗(アマツキツネ)は後世(平安時代)の読み
そこから「天狐」という表記の妖怪の記述も出てくる
比叡山
『大鏡』(1025年ごろ成立?)に、烏天狗が登場した最初の記述
『拾遺往生伝』(1111ごろ)
六道輪廻に追加で「天狗道」が設定されている。天狗道に落ちた僧侶は妖怪の天狗になる
「トビの姿をした妖怪」「僧侶を堕落させる」
第三章・『今昔物語集』の天狗たち
『今昔物語集』(12世紀前半)天台宗関連の説話に登場する
第四章・天狗再登場のメカニズム
p.96-97「初期天狗イメージの特徴」
前章までの検討で、飛鳥時代から平安時代末期にかけての初期天狗のイメージが明らかとなった。大まかな特徴を列挙すると、次のようになるであろう。
a. 本来、天狗は流星であり、その姿は中国では犬だったが、日本ではトビ、もしくは半鳥半人となった。
b. 山中で怪音を発する。これは「強烈な衝撃波音」という、流星に伴う怪現象の余韻が妖怪へ発展したものと考えられる。
c. 人をたぶらかして連れ去り、あらぬ所に置き去りにする妖怪。『源氏物語』の浮舟を見つけた横川僧都の所感、来迎幻影で僧侶を連れ去る話、トビになった天狗が僧侶をさらって洞窟に閉じ込める話がこれにあたる。おそらく、後述する猛禽類による幼児さらいの影響を受けているものと思われる。
d. 郊外の寂しい場所に出没し、人々に死をもたらす。
e. 狐と同様の性質を持つ。
f. 比叡山の僧との関わりがきわめて強い。平安時代末期の天台宗内部における諸事情とリンクする形で成長していった妖怪ともいえる。具体的には、山門派と寺門派の対立状況が強く影響している。比叡山の僧侶は、怨念や妄執によって天狗化する。その霊力は、ときとして高僧を凌ぐこともある。あるいは、比叡山の僧が天狗を退治するケースもあり、この場合、天狗は滑稽な「やられ役」、天台僧侶の引き立て役となる。天台宗の人事に首を突っ込んだり、偽法師となって市中に出没し、布施を集めたりもする。
g. 天狗はインドや中国にもたくさんいる。むしろそちらの方が天狗の本場であると、平安時代の日本人は考えていた。インドや中国の大天狗が日本にやって来たり、また多数の天狗が民族大移動のごとく他国へ移住したりもすると考えられていた。
h. 幻影を見せる力を持つ。偽来迎、偽仏、霊山会の幻影、エンターテインメント系マジックなど、時代思潮を反映しつつ、各社会階層の欲求に合わせて、自在に幻影を操ることができる。
p. 98
一見、複雑に見えるこうした諸々の特徴も、その構造を単純化すると「流星の災厄」、つまり「天空から突然降りかかり、強烈な音を伴い、戦乱・騒乱をもたらす天体現象」の展開系といえるものがほとんどではないだろうか。
古代中国:流星・火球現象(空から降ってくる大きな音)としての「天狗」
↓
飛鳥時代に日本に伝来したときに「流星ではない」とされたが、「空から降ってくる大きな音」の特徴は引き継がれた
↓
かつて農業国で頻繁に見られた、猛禽類による幼児さらい
「天狗隠し」と呼ばれ、のちに「神隠し」と呼ばれる
鼻が長いのは、嘴からの変形と推測される。初期天狗はすべて烏天狗だった。
伎楽面やサルタヒコは結果的に習合されたと思われる
イメージのルーツ
古代中国やインドなどから伝来した半鳥半人の異形
古代中国の雷神 → 仏教に習合されて夜叉になる
毘沙門天、鬼子母神(の配下)
↑半鳥半人のイメージに影響を与えたのはインド神話のガルダが由来と推測される
猛禽類による人さらいの神話は、ギリシャ神話「ガニュメデスをさらったゼウス(大わし座)」の神話から伝来したイメージ?
==============以下インターネット情報==============
由来・来歴
① 古代中国神話:「天の狗」
火球を「咆哮を上げて天を駆け下りる狗(獣)」に見立てた 天から地上への災禍をもたらす凶星として恐れられた
天の狗が日食や月食を起こすという信仰もあった
② 仏教への「天狗」の輸入
三蔵(経・律・論)=仏教の経典=釈迦(および後世の僧侶)が残したテキストに「天狗」という言葉はない 正法念処経:古代インドのUlkā(漢訳音写:憂流迦)という流星の名を天狗と翻訳した のが初出 ③ 日本での習合
飛鳥時代
日本における初出は『日本書紀』舒明天皇9年2月(637年)、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた。人々はその音の正体について「流星の音だ」「地雷だ」などといった。そのとき唐から帰国した学僧の旻がいった。「流星ではない。これは天狗である。天狗の吠える声が雷に似ているだけだ」。ここでの「天狗」は訓読にて「アマツキツネ」と読まれており、『聖徳太子伝歴』下巻や『壒嚢鈔』では天狐と同一視するような記述も存在する。
飛鳥時代の日本書紀に流星として登場した天狗だったが、その後、文書の上で流星を天狗と呼ぶ記録は無い。
奈良時代
修験道のはじまりとされる
平安時代
そして、舒明天皇の時代から平安時代中期の長きにわたり、天狗の文字はいかなる書物にも登場してこない。平安時代に再び登場した天狗は山の妖怪と化し、語られるようになる
中世に、六道以外の魔界の一種として天狗道が想定された。
「修行で神通力を得るという山伏は傲慢なので、死後に天狗道に落ちる」とされる
慢心→鼻が高い
仏道を学んでいるため地獄に堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行けない無間地獄
(2023/06/17感想:都のメジャーな密教から、周縁の山岳信仰へ対する牽制なのかなと解釈した)
この小説では独自理論が書かれている↓
※仏教において、衆生が生前の業に応じて死後に赴く世界を『六道』と呼ぶが、それとは別に、修行を重ねたにもかかわらず心が邪悪だったために悟りを開けなかった僧侶が死後に堕ちる世界を『天狗道』という。
そのような者は仏道修行を詰んだために地獄へ堕ちることはないが、修行を重ねたという慢心故に悟りを開けない。つまり、輪廻を抜けて極楽浄土へも行くことはない、とされる。
他の修行僧や信者を護り助ける天狗もいるが、一般には生前悪心を持って天狗道に堕ちた者、すなわち『悪天狗』は他の僧侶の修行の邪魔をし『自分と同じ天狗道に堕とそうとする』のだという。
山岳は、民間では異界として恐れられていた
山岳信仰=山にいる祖霊信仰
(「山の神」は女性として描かれるが)
(堕落した女山伏として「尼天狗」もいるらしいが)
外見のイメージは平安時代末期〜室町時代に固まった?
平安時代末期:堕落した僧侶を天狗に見立てた風刺画が描かれた
鎌倉時代:『平家物語』『吾妻鑑』などの記述
室町時代:鞍馬寺の鞍馬天狗の御伽草子
習合
大陸仏教
↓
日本の仏教
↓
修験道 ← 山岳信仰 + 祖霊信仰(神道)+ 密教(仏教)+ 道教 など
山伏に対する肯定的な解釈(神通力を持った強力な山伏)→ 山の神として扱われる天狗に
山伏に対する否定的な解釈(邪法を扱う高慢な山伏)→ 妖怪として扱われる天狗に
サルタヒコとの見た目の習合
サルタヒコ 猿田彦
天孫降臨のときに案内役をつとめた国津神
そこから道祖神の神とされている(ようだ)
背が高く長い鼻を持つ特徴から、天狗と同一視されることがある
なのでサルタヒコをあらわす祭礼では天狗面で表現される
鼻高天狗の見た目の由来
↑というのは文言上の裏付けがないから、伎楽面は関係ない説
もともと鳥のくちばしだった説
不動明王との習合
変幻自在の天狗・飯縄大明神は不動明王の化身ともされ、インドでは「アチャラナータ」と言い、シヴァ神の異名がそのまま仏教に取り入られ、不動ないし無動と訳されている。
(と高尾山は申しております)
不動明王
明王:密教特有の尊格
大日如来の化身であると見なされている
起源をヒンドゥー教のシヴァ神とする説がある
(めちゃくちゃ習合されてるやん)
分類
時代によりその概念に変遷があるが、中世以降、通常、次の三種を考え、第一種は鞍馬山僧正坊、愛宕山太郎坊、秋葉山三尺坊のように勧善懲悪・仏法守護を行なう山神、第二種は増上慢の結果、堕落した僧侶などの変じたもの、第三種は現世に怨恨や憤怒を感じて堕落して変じたものという。大天狗、小天狗、烏天狗などの別がある。天狗を悪魔、いたずらものと解するときはこの第二・第三種のものである。
近代の天狗のイメージには、近世に形成されたものが多いようである。妖怪を御霊(ごりょう)信仰系のものと祖霊(それい)信仰系のものとに大別すると、天狗は後者に属する。中国伝来の諸要素を多く残しながら、祖霊信仰に組み入れることによって山の神の性格を吸収したのであろう。そのため群馬県沼田市の迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)、栃木県古峯原(こぶがはら)の古峯(ふるみね)神社、そのほか修験道系統の社寺において、天狗を御神体もしくは使令(つかわしめ)(神様のお使い)として信仰する例が多い。
エピソード・マジックアイテム
神隠し
江戸時代以降、天狗が原因とされた
蓑
透明になれる すごい!
天狗笑い
山中で笑い声が聞こえる
天狗礫
石が飛んでくる
天狗倒し
木が切り倒される音だけが聞こえる
天狗神楽・山神楽
なんか聞こえる
天狗火
怪火(神奈川県、山梨県、静岡県、愛知県に伝わる)
見るとまずい
読みたい
杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(2007)
→図像学的な解説
外部リンク
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文章コピペでもないっぽいのでますます逆に怪しい いやコピペか? ですます文 と だ・である文 が混在しているのはふつうに怪しいが、文章がヘタクソなだけかも?
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